kushyyoshyのブログ

G+で私の書いた者を公開して来たがそれが中止になると言うので?のブログに切り替える事にして今移転している。

明治維新とは、キリストの思想による現代工業社会を作る革命だった

明治維新とは、キリストの思想による現代工業社会を作る革命だった



江戸時代の儒教社会とは、賄賂政治の犯罪政治だった.

それは儒教とは、思想ではなく。

制度に従い一番力の強いものが支配する事を、正義と言った悪魔の制度だった。

だから独裁者がいてその人が法律であり、気が変わればそのシタの者も急に気が変わると言う仕組みだった。

人々はだから、トップのその気が変わるかを知る為に、何時も人の顔色を見て過ごす社会になっている。

日本人が人の顔色を見て生きているのは、その為だ。

そして人権がなかったので、正義とは何か基準がなかった事が、人々に正しい事を判断する力をそいでいた。

考えるト言ウ事は、正しい事がハッキリとしている時の考える力がハッキリとして形成されるのだ.

人権がないと人は、考える力がない事を意味する事にナル。

儒教社会とは顔色を見る社会の事で、出鱈目でルールなしの社会である。

それが今でも続く中国共産党と韓国の正体だ。

賄賂社会だと言う事だ。

儒教社会とは、その他の封建社会と同じであると言う事だ。

日本も江戸時代まではそうだった.

でも中浜万次郎がその賄賂社会を断ち切り、現代社会に作り直してくれたのだった。

キリストの思想によるフェアネス社会を明治維新で日本中浜万次郎が作り直してくれたのだった。

学問のすゝめでハッキリと日本社会の今までを否定して、此れからの人権の社会制度にする事を宣言したのだ。

此れは江戸徳川私物化封建社会から、一気にキリスト型の現代社会の市民社会を作りあげる、大変革を意味していた。

西洋の市民革命とは、その市民がキリストの言葉を読み考え、世界が人一つになっても、皆が平等で仲良く過ごす為には、人は何をしなければ行けないかを理解した事から始まった事だった。

このフぇアネスの心が育って、それに合う社会を作る事から近代が始まった。

日本では、その市民の精神から育てて、変革するのでは,西洋が既に社会が現代社会になっていて工業力に大きな差が生じている状態で,西洋と日本が戦争をする事は絶対の敗北しかない事をよく知っていた。中浜万次郎が苦心して考え出した日本を工業国にする為に秘策であった.トップダウンの市民生新革命を日本の明治維新はやったのだ。

西洋と同じい時間をかけて市民を育つのを待っているのでは、間に合わないので中浜万次郎トップダウンで市民の精神革命を日本社会にやったのだ。

それ教えは学問のすゝめに書かれている事だった。

あの本は中浜万治郎が書いた渾身の日本批判であり、更に言えば日本を愛する心からの教えであった.

それを日本人は海綿が水を吸うように、吸い込んで行きあっという間に全国にその考えが広がって行った。

日本人はフぇアネスの心を知る事になった。

つまりフェアネストとは、人権がある社会の中心的な考える力の事だった。

法律はあっても、そのフェアネスがなければ制度と法律だけでは人権は守れない。

法の運用はそのフぇアネスの精神があって、初めて,人権の社会の制度とその運用が合わさって、民主的社会国家が出来るからだ。

人権がある社会に住むのは、その政治家と官僚、そこに住む人々がフェアネスを知っている事が大事になる。

一部のエリートがそれを知っていたら、いいと言うのは大間違いだ。

エリートが知っていれば良いのではないのだ。

大事なのは市民だ。

市民こそ、全て正しい事を判断出来て、その正しい事を政治家が官僚の力を使って実現して行く事が大事だ。

それが判断出来る市民が育っている事が、現代社会の基礎なのだ。

原点は政治家でもない。官僚でもない。市民が主体で社会を作って行くのだ。

だから市民社会を作る為に市民革命がありその教育が大事になる。

教育とは新約聖書を読み考える人からその教養が生まれる。

それが主体となってフぇアネスの思想が生まれ、それが社会に広がって行く時に市民層が生まれるのだ。

その市民が市民革命を行う事でフぇアネスのルールで動く社会が生まれる。

フぇアネスの社会が生まれると科学が広く行われてゆく。

科学をする心とフェアネスを知る心はよく似ているのだ。

科学をする子t殺は物事を客観的に見てその戸を出しくり介してゆくフェアネスを考える子r事はやはり客観的に物事を見てキリストの教えに的確しているか神の言葉に適合しているかを考えて行動する事とよく似ているのだ。

考えるプロセスが似ている.

だからフェアエネスの心が育つ社会には、科学が定着する。

正しい事が行われる。

それが科学をする心であると言っている。

賄賂をもらう社会にはフェアネスは育たない。

朝鮮人と中国人を見ればそれがよく分かる。

中国人は英国の精神科の医者がその行動を測定器を付けさせて計測をして分かった事は24時間嘘つきの脳が、はたらいていつでも人を騙す為に働いている。一ウィ助けると言う神の言葉を全く受け入れられない。フェアネスを考える心もない。

教育とは賄賂だと言う事になっている。

彼らの博士号は幾らでもらっているのかだけの金額の問題なのだ.

能力は金で買えると言っているが。発明発見する能力は金では買えないもので神から与えられたものだ.

神がいない中国人と朝鮮人には永久にその能力は与えられない。

フェアネスを知らない博士など泥棒と同じだと言う事だ。

教育とはフェアネスをしり、科学を学ぶ事だと言う事になる.

フェアネスと科学が現代亜社会の基礎になってゆく。

フェアネスがあって初めて市民が生まれる。

その上に民主社会が運営されるのだ。科学がその社会を効率的に発展させてゆく。工業社会がやってくる。

だから民主主義社会にはキリストの精神が溢れている事になる。

工業社会には正義とフェアネスと科学がその基盤になって支えてゆく。

フェアネスの精神とはキリストの精神で神の言葉から生まれた思想だ。

だから中浜万次郎でなければ、その明治維新の日本でも革命はおこす事が出来ないと言っている.

日本人で彼しかキリストの言葉を記憶する程読み込んで考え尽くした人はいなかった。

福沢諭吉は彼の手下で、影武者だった。

学問のすゝめは中浜万次郎がフぇアネスの精神を日本人に問い。

トップダウンの市民革命する目的で書かれた本だった.

キリストの思想を言う事が出来るのは中浜万次郎しかいなかった。

儒教頭の福沢諭吉には、キリストのキの字も分からない。彼は親鸞が日本のキリストだとか、訳の分かっていない無知を本に書いている。

日本の親鸞が日本のキリストだとか言っていた間抜けだ。

学問のすゝめを始めから福沢諭吉に書かせれば、天に従い。強いものに撒かれて生きることが正しいとか言っていたに違いない。

福沢諭吉が書く本の名は本の名は、

長いものに、撒かれて生きる、だっただろう。

影武者として,福沢諭吉のその名を使って日本の市民革命をトップダウンでしたのは中浜万次郎だ。

福沢諭吉はその子分で、影武者が仕事だったから、その名で学問のすゝめだ出版されただけだった。

それは中浜万次郎の命を守り日本を現代社会のかえると言う断固とした勝海舟の意向だった.

その権力者とは勝海舟の事だ。

勝海舟中浜万次郎の命を助け、日本の未来を彼の言葉の中から見た人物だった。その影武者を作ったのも勝海舟だ。

中浜万次郎は勝の下で旗本に取り立てられていた。

姓名がない下人=漁師見習いだった万次郎は、苗字を持つ侍に取り立てられていた.

その影武者として、勝海舟が選んだ男が福沢諭吉だった。

中浜万次郎が日本人で唯一のキリストの弟子で、英語をネイテイブ並に英語を喋り、話し、読み書きが出来る。

その上神学校を出て牧師になれる道を捨てて、航海士に学校を出て、当時の科学の先端をいく航海士になり、実際に捕鯨船に乗り,航海士として働き世界中を見て歩いている.そして新聞を読み、世界中の事を見て歩いてそれを肌で感じていた。

その精神はキリストの弟子のフェアネスの心で世界を見る事となっていた。

この頃福沢諭吉は、儒教四書五経をそらんじていたキ。リストの精神は微塵もないし,もしキリストの言葉を知っても儒教頭では理解出来なかった。

中浜万次郎だけが、米国の科学を知り,実践でそれウィ使い仕事をしていた。

その科学で物事を考える事が出来た人物だった.勝海舟の目はその意味では又科学を見る力があったと言える。

万次郎だけが、日本が世界を知る目であり、耳であり、日本の進路を決める考える羅針盤だったのだ。

もし殺されれば、その替られる日本人は、この世にいなくなり、日本は目が見えず、ミミが聞こえず、科学とは何かも知らない田舎者で、向こう気だけが強くて、西洋の軍事力で全滅させられてしまう事を、読んでみせたのは中浜万次郎だけだったのだ.

だから,それを知らない田舎侍達の鹿児島の薩摩藩で英国と戦争をして、たたきのめされてしまった。

破れて、初めて西洋科学は日本の力の及ばない先を行っていると感じたが、その時は敗戦でもう手も足もでない状態になっていた。

長州藩も同じ過ちをやってしまった.

儒教精神で賄賂と忠孝精神だけで農が儒教麻痺をおこしていた。

その侍達は攘夷と称して西洋艦隊と戦い、のされてしまった。彼らは科学でものを見ず、向こう気の強さで戦えば、勝てると思い込んでいた。

昔の火縄銃で西洋の艦隊の近代兵器のアームストロング砲に立ち向かってしまった.その力の差は歴然だった。

日本の大砲の玉は西洋艦隊にはトドかずに、皆西洋の戦艦の遥か手前で海に落ちて行った。

西洋のアームストロング砲は正確で侍達を次々と吹き飛ばして行った.更に侍の後ろの鹿児島の町中に、大砲の弾が落ちて町は火事で全焼してしまい、人々は皆焼出されて行った.

第二次大戦=大東亜戦争での大空襲は、この事例が参考にされて。日本人の家は木の家だから、火がつけばあっという間に町中が焼けてしまうと知られ、弱点として世界に知られることになっていた。

焼夷弾は日本の木の家並みの都市に、落とす為に開発されたものだった。

この事をまだよく考えていない日本の今の政治はまだ儒教頭だ。

フェネスの分かる社会にして、フぇアネスの政治家と官僚が必要だ.

市民革命をもっと日本も進めて行かないと行けない。

市民がフェアネスになり官僚もフェアネス政治家もフェアネスで考え行動する。

キリストの平安の国が工業社会を発展させる唯一の原則だ、

天使の文明を作るのだ。

悪魔は排除する。

儒教頭に権力を与えると、馬鹿な事しかしないから、その馬鹿が権力を握れないよう検査機能をもっときめ細かく作り、朝鮮人が日本人に成り済ましていくのを辞めさせ、日本から叩き出す事が急務だ。

 

人権がない社会とは、人権がある社会比較すると、後者の社会では、個人が市民として正しい事を考える力がある社会の事だった。

前者の儒教社会では、正義で物を考える力がない。

だから考える力もない.顔色を見て行動する社会だ。

賄賂がその世を渡ってゆく唯一の方法で犯罪社会だ。

正しい事とは人権と言う概念が、個人に認識されている事が必要だった。

その概念の基礎がフェアネスを人が知り、それを持っている事だった。

そのフぇアネスの根底にはモーセ十戒と神の言葉がある。

合計十一戒になる!キリストの教えはユダヤ教を大きく変更してしまった。

それを中浜万次郎は学問のすゝめで日本人に教えてくれたのであった。

その事で日本人は350万部もそれを読み、日本の知識人のと維持の総数と同じ発行部数となって国民に広く知れ渡って行った。

多分その字が読めない人々も、その事を読んで聞かせてもらっていた人達も入れると、日本人の20〜30%以上が学問のすゝめを知っていて、世界と同じものの考え方を知っていた筈になる.当時の日本人の識字率は13%位だった。

明治政府がその後に行った国民皆教育制度で、30年後には日本人の識字率は70%以上になっている。

中浜万次郎は市民が工業社会の前提だと知っていた事になる。

識字率が高い事が工業国のニなる為には必要な事で、市民の心にフぇアネスの心がある事が、次に大事な事だと知っていたからだ。

個人は自分で正しい事を考える社会を作る事が、明治政府の一番の目標だった事がよく分かる事だ。

この上に立って自由民権運動は日本社会に起こっている。遺戒の開催を要求して自由民権運動は日本中に広がって行った。この前提にもフぇアネスの精神が日本国民の中に広がって行った。

日本が植民地をしていた朝鮮でも台湾でもその識字率が同じように向上して行った。

日本の植民地とは、日本国民を植民地の国に作る事であった。それは人権を知る個人を作ることであった。

日本は植民地とは日本と同じ工業国を作る事だった、それはアジアの解放と同時に工業国を作る事であった。

日本がよく植民地と呼んでいたのは、西洋の職印値の奴隷社会の事ではない。

アジアを奴隷植民地から解放して、日本と同じ工業国を作り、互いに貿易をして互いに助け合う関係を作る。

アジアの工業国連合の共栄圏を作る事を植民地と呼でいただけだ。奴隷借ミンチから解放してやり、にっぽんと同じ工業社会を作る。そのこと事を差して、その対象国を植民地と読んでいただけで奴隷社会を作る事ではなかった。

日本国は工業国になる為にも国民が教育を受け考える力を持つ人に育てて行く事を目指していた。

日本が日本の植民地と言っていた国々でも日本と同じ工業国にする為の政策が行われて行った。

その土台があるからこそ、今それらの国々では工業で輸出品が作れるようになっている.

世界中で日本が明治維新現代社会作りをした国々と、工業化がいまだに出来ない世界の植民地国と比較をしたら、その違いが一目瞭然だろう。

目がある者はその目で見よ!

耳のある者はその耳で聞け!

日本はその悪魔の帝国主義制度から、キリストの天使の思想と制度の精神改革をしてその後、科学社会を作りあげた。

その基盤として奴隷社会から国民革命をした。

顔色を見て今日は良いようだと、安心して日常活動を始めるのではなく。

法律という人権を中心とした成文で国民を支える政治が行われるようになって行った。

此れならば誰でもその文で書かれている事で、自分が正しいかどうかを判断出来るから、それに従っていれば安心してやりたい事が、自由に出来る社会になれるからだ。

規則がハッキリ明示されている。それが自由の基礎にあると言うことだ。

しかし法だけでは不十分なので個人のフェアネスの精神と社会の精神がフェアネスで出来ている事が必要になる。それで初めて社会は正しい活動が出来る事になるからだ。

市民革命が必要な訳がここにある。

顔色を見る社会から日本は中浜万次郎トップダウンの市民革命で、日本人は奴隷から一気に市民になって行った。

人権社会の国になって行ったのだ。

そこには考える力を持つ国民が住んでいる。

科学が社会では尊重されて行く。

フェアネスと科学が日本社会の正義を判断する力になって行った。

 

長州藩田布施地区出身の朝鮮人はそのことが分からない.儒教の賄賂社会に常に引き戻す事ばかりをやっていた。

ユダヤの手下の朝鮮人は何時も日本の邪魔ばかりをする、躓き石だった。

先ず、万次郎はキリストの福音を知らない日本人に、里山の共同体の精神がモーセ十戒と同じ精神を持っている事に目を付けて、更に神の言葉の他人を助けよと言う。自己中ではない精神、利他主義の心を学問のすゝめで日本中に明らかにした。

佐倉惣五郎は日本でただ一人それを江戸時代にここなった人だと讃えた。

それを聞いて急に日本中で佐倉宗吾郎郎祭りが開かれるようになった。

それは日本中がフェアネスを知りそれが自分たちを助けてくれるえ本当の正義だと、知らしめて行った。

今はインチキ選挙で投票がインチキで置き換えられて日本人の本当の投票が行われる事は一度もなかった非民主国家が日本だ自民と歌はインチキ政党で、インキ議員が出鱈目をやり放題になっている。

犯罪集団だ.全員死刑にするべきだ!

フェアネスを言う学問のすゝめは、日本人の心を大きく影響を与えたのだ。

此れは中浜万次郎が英語で考える言葉を、日本語に直して、書いていることが、日本語にはない考え方と文章が新鮮な響きを持っていた事で、そこには庶民が考える正義がそこあった。

それが大きな反響を呼んでいった事に示されている。

そして万次郎が日本人の心で米国で、一から教育を受けて、科学を知り、その力を知っていたから、日本人はその現代の光を、学問のすゝめに中に見いだして、日本中がキリストの言葉で光にてらされて、輝いて起こっていた事で、起こった事だった。

日本人は本当の光を学問のすゝめで見いだしていたのだ。

ただの日本語しかしらない福沢諭吉では、出来る訳もない事だった。

キリストの言葉を知らず、科学を知らず、フェアネスも知らず、人権も知らず、米国社会で人種差別に泣いた日もない。そして米国の空気で育っていない、英語も分からない福沢諭吉では不可能なことばかりが学問のすゝめには書かれていた。

儒教しか知らない福沢諭吉

それは死ぬ前の最後の書の修身読本を読んでみれば、儒教思想しか書いていないことでよく分かる事だった。

人を見下していル。

自分さえ良ければ良い。

ところが中浜万次郎は自分の命を捨てて、日本の為に帰国をしていた。

20歳で自分を捨てて日本を救う為に、日本に帰国を決めた中浜万次郎はどれほど日本の人々を愛していたのか?

その日本の郷愁と更に世界を同じに考えるキリストの愛があった。

彼は自分がキリストの他利主義の愛で日本を選んで帰って来たのだ。

殺されてもいいと。

でも米国で見た事。キリストの精神の国、米国の科学社会の国を日本に紹介し無ければ、日本はその工業国の力に簡単に負け、植民地になり、他ヨーロッパの工業国にも簡単に負けてしまうだけだと気がついていたからだ。風前の灯状態だった日本を救ったのは、中浜万次郎の知恵と勇気とキリストの信仰だった。

それを知らせるだけでも自分の命をを犠牲にして価値がある事だと思い決断した.

たった年齢20歳代の男だった。

自分の命を見切って、神の言葉にしたがって行動したのだ。

鎖国の日本に行き帰国したら、死刑にされる事は誰でも知っていた。

その生き残りがシンガポールで何名もの日本人達が万次郎のように難船して、運良く助かっても日本に帰りたいが、帰国したら死刑にされるので、帰れずそのままそこで死んだ人々が多勢いた。

学問のすすめの出版の前年にも、日本の明治政府の元でかくれキリシタンの人が発見されて死刑になっていた。

万治郎は自分が学んだ英語とその科学と、人種差別の欧米社会の現実を科学社会の進んだ工業力の力が、どれほど大きな軍事力の差になるかを、ハッキリと頭の遅れた日本の侍達に、話して聞かせる事が出来た。

その対策も考えて話していた。

その時の日本で科学を知り、更にキリストの言葉をしり、ネイテイブの英語をしゃべり,その英語の会話聞き分けることは中浜万次郎だけだった。無論英語の新聞を読んでその意味も直ぐに解説出来対策を考えられたのも彼だけだった。国際条約の意味も知っていたのは彼だけだった。

 

でも一番大きな社会の差は人々が、同じ権利を持って平等社会でその人権社会が工業社会の土台となっていることであった。

それを市民と世界では呼でいる。

明治維新は日本の市民革命だった。

それは前にも書いたが、トップダウンの政府から市民意識を植え付けた革命だった。

市民の意味を本当に米国で生活して実践してやっていたのは中浜万次郎だけだった。

福沢諭吉は、市民を知らない.経験した事もないから市民の説明は出来ない。出来るのは中浜万次郎だけだ。

まして明治政府の政治と国家の形を設計する事など及びもつか無い事だった。

 

日本は奴隷社会だった.米国では奴隷解放されて国人は一人の平等な国民として扱われていた。

でもその現実がまだまだ平等にはほど遠いいが.日本では名目さえ平等ではなかった。

キリストはその平等の権利を言ったが、更には人は人を助ける事が大事だと言いっている。

キリストは人が人を助ける事で初めて人を大事に思う事が出来ると言っているのだ。

人が自分を助けてくレタ.自分も人を助けてゆく。

それがこの社会潤滑油になり、人は人が更に大事に思えるようになって行くのだ。

平安の王国を作るとはそう言う人々がいる社会があると言う事になる。

 

他人を助けるその事が、日本人の里山の共同体文化の精神に加えられて行った.

日本人は、明治5年で,出版された学問のすゝめを読み、キリストの弟子となっていたのだ。

更にその上の工業社会を米国をモデルにして、後進国が先進国に変身をする事をやったのだ。世界の歴史で日本だけが後進国家かから,一気にに先進国に変身出来た。

その鍵は中浜万次郎が、米国でネイテイブの英語を話し、英語で考える養育を受けて、更に神学校と航海士の学校を卒業した。航海士の学校では、科学を技術をして、日常で使う為の技術者の学校だった。そこを出て来た。日本に帰国してくれた事で、ハジめて日本は現代社会の工業力と封建社会の尽力生産体制の差を知った。そのままでいたら、西洋社会に飲み込まれるだけだと言う事の現実の差を知る事が出来た。

軍事力と派は突き詰めて言えば工業力の事だった。

封建社会の軍事力と工業社会の軍事力の差が、帝国主義の力とその他の封建社会の低生産力の差として、埋めがたい大きな壁となっていたのだ。

その差の大きささえ計り知ること事が出来なかった。それが低能社会が封建社会であった。

日本以外の国々が封建社会から抜け出せないのは中浜万治郎がいなかった事になる.

キリストの精神が分からなければ、科学社会はやってこないからだ。

キリストを知らなければ、人は科学を考えない。

賄賂社会では科学を学ぶ事より、わいろを払う事の方が簡単で、話しがハヤイからだ。

そして科学が捨てられてしまう。

が、科学で支えられた社会は工業力が飛躍的に伸びてゆく。

賄賂社会とフェアネス社会の差が工業力の差になっていたのだ.

そして賄賂の国は全て、科学の国に負けてゆくだけだ。

その根底にはキリストの精神があるのだ。キリストがいない社会には工業力は永久にやってこない。科学が死んでいるからだ。人権がなければフェアネスはない。

ファネスがなければ科学もない。

科学がなければ工業は成り立たない。

だから、工業国に成りなりたければ、中浜万次郎の現代革命をやるしか方法はないのだ。

日本の明治維新がその唯一つのモデルだ。

中浜万次郎がその差を解説して初めて日本の高官達はその差が大人と子供の差位大きな者だと知って慌てた。

戦えば負けると知った。

事実、鹿児島の薩摩藩長州藩は海外の工業国の軍艦で、こてんぱんにやられて、ぐうの音も出ない状態になっていた。

日本の遅れは,火を見ルより明らかだった。

そして、どうしたら良いのか分からない!

中浜万治郎だけが科学で物を考える力を持っていた。

そしてその根底にはキリストの科学をおこす思想が、彼の中でその思想を支えていた。

中浜万次郎が日本を科学の国にする方法を考える力を持っていて、それを日本の政府の相談役となり、日本の現代化を力強く率いてくれたから、出来た事だった。

富国強兵策とは、日本人を市民にして、その市民が支える科学工業社会を作り、その工業力で軍隊を作る事で成立する話しだった。

その為には国民皆教育が先ず必要だった。

市民意識を支える神がいるそれがキリストだった。

日本は廃仏毀釈やって仏教を廃止した。いまでもその政策がいきている。

日本は神の国とは、キリストの神がいると言う事だ。

同じ字で日本の神と勘違いをしている日本人が多いがそれは間違いだ。

中浜万治郎こそ日本の現代社会の基礎を設計して、日本を作った日本の大恩人ダと言う事だ。

日本は中浜万次郎神社を作り毎月その命日にはお祭りをして感謝を捧げる必要がある。

日本国家の守護神だ。

日本人の市民意識とフェアネスと科学と工業の土台がそこに有るからだ。

 

明治維新をこうして見ると、キリストの精神が初めて日本に導入された事から起こった精神革命だったと言う事が分かる。

その上に、科学が国民全てにただで教育をする事で与えられて行った。

その科学を説明する日本語には科学を表現する言葉まだなかった。

直ぐにそれに気がついた中浜万次郎がその日本語にない科学を表現する言葉を作り出していった。

およそ8000語にも及ぶ科学を表現する言葉は二文字熟語として作りだされていった。

アジアで初めて日本語が科学を揚言出来る言葉になった。そして科学を解説をしてくれる言葉になった。

それを教科書に使って日本語で科学教育が出来るようになった。

国民皆教育も中浜万次郎がいてくれたお陰で出来た事だった。

日本科学の父。

日本教育の父。

日本工業社会の父。

日本帝国軍の父。

日本思想の基礎を作った。

日本をキリストの国に変えた。

又、日本の現代社会の仕組みのすべてを作ったのも中浜万次郎だった。

大政治家で,文明の評論家であった。

こんなに優れた日本人が居た事に日本人は何故気がつかずにほったらかしているのか?

大恩人を足蹴にしているとしか言えない気がする。

それが日本人のやる事か?

だから、私は声を大にして中浜万次郎神社を作り、その偉業を祭りその日本を作ってくれた事に感謝をし、その精神を考え続けて行く事が、明日の日本をつくる礎えになる事だと言っている。

 

日本人は自分がキリストの精神の上で人権社会を持ち更に科学社会を作り、工業社会が出来ている事を自覚するべき時がやって来たと言っているのだ。

それを知る事で日本人は新しい明日を作る事が出来ると言っている.

もし自覚出来なければ、そのまま朽ちてしまうだろう。

温故知新とはこの事だ。

中浜万次郎に学び中浜万次郎の夢を実現する事が日本の役割だ。