kushyyoshyのブログ

G+で私の書いた者を公開して来たがそれが中止になると言うので?のブログに切り替える事にして今移転している。

明治維新は誰がやったのか?小谷の法印だ。下人の人が明治維新をやった!

明治維新は誰がやったのか?小谷の法印だ。下人の人が明治維新をやった!



日本の歴史が変わる。侍革命ではなかった明治維新。奴隷が革命で政権を倒した。



侍ではなく。下人(奴隷)革命だった明治維新

 

侍は腐敗平泳ぎで役立たず!江戸時代(侍は儒教頭だった)も今も朝鮮人がインチキ選挙で日本の国会議員になっている。地方議員になっている)。

日本人は朝鮮人に使われている。

 

世界でも珍しいことだ。奴隷が其の支配者を破壊し現代国家を作った。



それは其の孫の勝海舟(お谷の法印の孫の一人)が最後の一手(徳川幕府大政奉還)をやった。

 

勝海舟は何故日本の革命をやったのかその理由

勝海舟のおじいさんが小谷の法印だった。

この人は出身が新潟県の小谷村の出身だ。ネットでは誰が書き換えて柏崎に地名を変えている。屑が居る物だ。日本人ではない朝鮮人が邪魔をして歴史を破壊している。ブリタニカ百科事典を引いてみたらいい。そこにハッキリと書いてある。

法印とは按摩の日本の裏社会の天皇の事だ。

日本の江戸時代は表の社会と裏の社会があった。

表は天皇がおさめていたが,その表は幕府による支配で士農工商の世界の事であった。

裏社会とはその士農工商以外の人々をさす。それを外道の世界と言う。下人とも言った。

河原乞食、あんま、金貸しはあんまの裏の仕事だ。坊主の世界も裏世界だ。華道、茶道、ヤクザ、その他などは幕府は管轄外で何があっても知らん顔だった。その支配が法印だ。裏天皇になる。

専制支配者だ。もし問題が起これば、地方の法印の手下にお伺いを立てて裁断をしてもらう。その全国の最高位が法印だ。彼がこうだといえばそれが絶対の命令になる。

ウラとオモテの世界が江戸時代だった。華道の話だけではなかったのだ。そのネットワークは彼の日本全国の裏情報網になっている。金貸しには必須のネットワークだ。幕府の情報網よりもずっと精度が高い。

小谷の法印は小谷村の農民のせがれだったが、村で食べられずに小谷村から子供の時に江戸に行かされた。

そして縁あって御殿の按摩の所に入り按摩になった。目が不自由だったかららしい。

御殿あん摩とは江戸城に勤める按摩だ。そこで按摩として入り御殿深くまで、その腕の良さと頭の良さで可愛がられ大奥までか行っていった。大奥に入れるということは、徳川幕府の裏情報が手に入る。絶対の情報が簡単に手に入り、その情報源に融資をすることで、さらに深い情報が流れてくることになる。

全国の情報に精通することでただの幕府ないの金貸しは、全国大名の金貸しに成長して行った。

そして小金を貯めてそれを御殿の人々に貸し出していった。昼間は按摩夜は金貸しで稼いでいった。やがて幕府の要職の武士達にも貸し出していき、更には外様大名にも金を貸し出していった。

気がつけば日本有数の金貸しになっていた。その頃天皇から法印になれと命を受けた。

あたら黙っていたらそんな偶然が起こる訳もない。当然自らがその口を聞いてもらい選択してもらえるように情報網を駆使して金をバラマキ、自ら働きかけてそうしてもらった。

つまり巨額の金を各方面に払ったと言う事だろう。

その出世の階段で見た聞いた話しは、日本の政権の中枢は腐りきっている事を見た。そして一人義憤に燃えていた。

日本の底辺の自分の実家や村人の行いや考え方を底辺で見それと腐りきった幕府は旗本の行いや大名のおこないは話しにならない程の酷い物だった。これでは日本中の百姓がかわいそうだ。この腐った屑の為に命を削って米を絞りだすのは無駄なだけだ。

そしていつかこの国を変えてやると心に決めていった。そして遠大な計画を思いついた。自分の家族達を幕府の要職に次々と付けていク。やがて最期は中心の老中職にその家族の者を付けて、一気に徳川幕府を倒して新しい下人達が幸せに暮らせる日本を作る事を心に決めた。その代表が勝海舟だった。

つまり勝海舟は小谷の法印の分身で、その小谷の法印の祈りが実現した姿だった。

日本の幕府壊滅と底辺の人々が主人公になり、誰もが幸せに暮らせる国を作るために勝海舟は育てられたサラブレッドだった。

日本革命は小谷の法印が描いた望み道理に実行された。

勝海舟徳川幕府を倒す。そして底辺の人々が幸せになる世界とは、米国の民主主義社会を日本にも作ることだった。

その時に小谷の法印が築いた莫大な資金が勝海舟を支えていた。又、その人脈が縦横に広がって勝海舟を助けていた。

勝海舟と小谷の法印とその家族が徳川政権を壊滅させたのだ。勝海舟独りの功績ではなかった。小谷家の集団の力だった。勝海舟はその決定打の中心に居ただけの事だった。

その新しい社会の設計図を持って来たのが中浜万次郎だった。中浜万次郎は始めから日本の設計図を持っていた訳ではなかった。

知っていたのはキリストの言葉がけだった。でも米国で見聞きした事とキリストの言葉でそれを見て考えると不思議な事に日本の未来の設計図が浮かんで来た。

これ別の文でもう書いてあるから、それを知りたい人はそれを読んでくれたらいい。

下人上がりの小谷の法印が日本革命の演出者だった。

実行主人公が勝海舟だった。

そしてその未来の設計図と政策は中浜万次郎が書いた。

小谷家一堂と中浜万次郎の合作が日本革命を完遂したのだ。



勝海舟が実は官軍の西郷を破っていた。

其の証拠は江戸城開放で西郷隆盛の官軍と品川で其の解決策を話した時に勝は西郷を雪隠詰めで降伏させた。

二人の品川談判と言われているが、其のニ人+英国大使のパークスと其の通訳のアーネスト・サトウがその場に望んでいた。4名で品川談判をやった。

英国大使のパークスは欧州連合の特使として徳川方の加勢をすることでその場にいた。

アーネスト・サトウ(英国大使館の書記で日本語/中国語の通訳)の日記に其のこと上が暗示的に書いてある。

会談は官軍が伏見の戦いで徳川軍を破り、徳川将軍は慶喜が総大将で負けた。

慶喜は体一つで江戸城に逃げ帰りボロボロだった。

其の勢いで西郷の官軍は錦の御旗を掲げて江戸に登ってきた。

そこで勝は西郷を迎え、品川で会談を申し込んだ。

西郷を薩摩藩の代表にしたのは長年の勝の支援で西郷を薩摩藩のリーダーの養成させていた。だから西郷は勝の申し出を断れなかった。坂本龍馬はその勝の浪人の手下だった。坂本龍馬勝海舟の後ろ盾でグラバーから新式機銃を薩摩藩長州藩経由で販売した。

その新式銃が官軍の鳥羽伏見の戦いの勝因だった。

勝海舟が手配して坂本龍馬に其の仲介役をさせた。つまり勝の手のひらの上で踊らされていた西郷の官軍だった。其の力もよく吟味したうえで与えていた。いつでも破壊できるようにしてあった。新式というがそれは米国の南北戦争で使われた中古品だった。今でも日本は米国の中古品兵器を其の値段の5〜10倍で買っている。腐敗の温床だ。

新式銃は弾が必要だ。修理部品も必要だ。勝はそこをしっかり握りしめていた。

色々長い因縁が有り断れない。其の支援は土佐藩長州藩などに広がっていた。時の老中からのきもきりで外様大名の底辺の武士の若者を育てていった。やがて反徳川連合軍を作るために。

 

その品川談判で英国大使のパークスが同席していた。

其の訳は江戸湾に欧州の連合艦隊が西郷軍を迎え撃って、其の新式大砲を全部使って破壊するという徳川欧州連合軍の西郷軍殲滅の話だった。其の連合艦隊の特別全権代表としてパークスはいた。

徳川の艦隊は外房で待機していたその数は16隻で皆大砲を持っていたが新式大砲を4隻だけだった。新式大砲とはアームストロング砲のことで砲身の中にライフルが刻まれていた。つまりライフルがあると弾丸はよりまっすぐに飛び命中率が向上した。そして着弾距離が1.5倍から2倍に伸びた。

威力が桁違いに良くなっていた。

欧州連合の船はみなアームストロング砲が設置されていた。

欧州連合の船24隻だけで西郷軍は粉々に破壊される。

更に其の後詰に徳川艦隊が待っていた榎本武揚の艦隊だ。勝の支配下にあった。

そして勝の下には江戸の町火消しから乞食あんま河原者たちやくざ者達が西郷軍を、江戸に引き入れたら、周りに火を掛けて動けなくさせる算段ができていた。其の動けない西郷軍には単発銃しかなかった。大砲も機関砲もなかった。

江戸のヤクザや河原者達は、勝の爺の小谷の法印の外道の世界の支配力だったオヤジの小吉が江戸の外道の世界の取りまとめ役で露店で古道具を売り江戸外道界の情報機関になっていた。

そこに欧州連合艦隊が艦砲射撃をしたら西郷軍は一時間で壊滅した。

そこに待機させた徳川本家だけの軍、旗本八万騎が襲いかかったら西郷軍で生き残れるのはほんの一握りだけだった?

西郷の官軍は鳥羽伏見の時に5000人。江戸に上がるときに増加したとして1万人だけ。

一万人対八万人コレは江戸の徳川軍だけだ。水戸も和歌山も甲州もその他の藩も徳川方だ。どうやっても官軍に勝ち目はないだから欧州連合は徳川に皆ついたのだ。

榎本武揚船は遊撃隊で主には東海道を逃げる西郷軍の敗残兵の退却路を立ち、逃げる兵に砲弾を浴びせかけて全滅させる作戦だ。

其の前に24隻の欧州連合軍に異変が会れば其の備えにもなっている。

其の犯罪編が東海道から北に逃げれば甲州では、近藤勇の甲陽軍がそれを討ち果たし全滅させる手はずになっていた。

官軍の主要兵器は、はライフルのはいったスプリングフィールド銃だけ。コレは坂本が薩摩に売った。勝がそれをやらせた。この銃は南北戦争で使った中古品だった。

その補給品は勝がおさえていたから、西郷がどれだけやる気でも、弾がなければ新式銃でもただの鉄の棒だ。

西郷軍は大砲は薩摩の旧式軍艦だけ。

今の戦線の配置で西郷軍は負ける。其の地獄絵を勝は静かに西郷に話した。

西郷は薩摩で鹿児島が英国の二隻の軍艦に艦砲射撃だけで街中が燃えて、薩摩藩がおおまけした記憶が激しく蘇った。あの時も一方的負け戦っだった。ソレがまた江戸湾で起こると確信した。

今度は24隻の欧米連合艦隊でそれもアームストロング砲という更に威力が倍増した新式大砲を持った船ばかりだ。其の大砲の数400門。

西郷軍が戦いを江戸でやれば、江戸の外道達が先ず江戸の街に火をかけて、西郷軍を江戸の中で孤立させて動けなくして、そこに欧米連合艦隊が一斉の艦砲射撃をかけて撃滅する。鹿児島の町が焼けたことと同じことが起こる。西郷軍壊滅。江戸は火の海で10万人くらいは死んだかもしれない。関東大震災では約10万人が亡くなった。

其の壊滅したところに旗本8万旗が襲いかかる。右往左往して逃げ場がないところに其の軍勢に8倍の兵士が西郷軍に襲いかかる。一人残さず平定される。大体、同じ武装をした軍をの其の二倍の人数を用意したほうが圧勝すると歴史は教えている。徳川軍の官軍の8倍は関白成敗(秀吉は位攻めと称して圧倒的多数の軍で相手を包囲して、戦わずに相手を落城させた。)の数字だ。完全に勝海舟の軍勢だけでも圧勝の数字だ。+新式大砲の連合艦隊400門のアームストロング砲。+榎本武揚の徳川艦隊+徳川親藩連合+江戸徳川の旗本8万騎。完全に孫子の兵法で言えば、絶体絶命の状態にあった西郷官軍ということになった。

もし欧米の聯合艦隊が負けても榎本武揚の艦隊が後詰で来るし、江戸攻めも残りの官軍が敗走しても榎本艦隊が東海道で一斉射撃を繰り返す。何重にもはられた勝の官軍征伐戦略が話された。

西郷は勝のいいなりになり、すべて頷くしかなかった。

そこで英国大使で欧米連語艦隊の代表のパークスも我々は勝の言うとおりの行動すると付け加えた。

 

西郷は負けた!官軍は江戸欧州連合軍に負けた。歴史では逆になっていた。

勝海舟が勝った!

つまり明治政府は勝海舟が作り支配していた。

そこで中浜万次郎は思いっきり自分の描いた日本の全ての人々が幸せになる社会を作る為に奮闘し始めていた。

それの一つが学問のススメを書いて市民意識を日本中に浸透させる事だった。

明治5年に出版されたこの本は、今読んでもハッキリとした儒教にはないフェアネスの市民を作る事に、その主眼が置かれていた。

 

一方、江戸城変換で徳川政権を潰した勝海舟は、徳川武士達を静岡の茶農家にして、生活を安定させる工夫をしてその暴力装置の歯止めをした。

 

品川談判は西郷の完敗だった。

歴史では西郷が江戸城を取り徳川政権は大政奉還したから西郷の勝となっている。

でも本当に勝ったのは勝海舟だった。

 

日本の歴史は偽りが書かれている。

 

そしてイギリスは其の後日本明治政府の後見人になった。これが日清、日露戦争を英国のためにやらされた因縁になった。西郷は其のコマにされることを知って黙って明治政権から去って死んでいった。ソレの心を知っていた勝海舟はそれを気の毒に思って西郷の銅像を上野公園に建てさせた。その西郷が最も輝いた時代の時を思い出して。

今は西郷を讃えて洗足池で二人の墓が並んで立ち、日本の未来を見て敵を見ら見つけて追い返す姿勢を取り続けていた。

 

勝の遺言。西郷と鬼となって日本を守っていく!

 

二人の墓がある洗足池の名は、日蓮が西方の布教活動から東に帰って行きた時に其の汚れた足を其の池の水で洗ったと言われている。日蓮は関東の宗派で其の創始者。激しい修行で己を鍛えたことで有名。其の弟子たちも体を損なうほど修行をした。鬼となってとは其の日蓮宗の僧侶の心意気を日本を守る気概として死んでも鬼となって、日本を守ってみせると言い残していった。

 

勝が西郷の官軍を影で支えて官軍をやらせていたのだ。西郷は其のことを知らない。操り人形をやらされていたのだ。

そして勝は徳川幕府を廃止して米国式工業社会に日本を変えることにしたのだ。その米国式民主主義社会を教えて指導したのが中浜万次郎だった。

そして西郷が勝ったことにして政権を西郷派に名を譲り、実質の勝はとっていた。

明治政府の政権の支配は勝がまだ続けて明治維新をやりぬいた。

西郷はそれ以降寡黙な男になって一切を語らなかった。勝も寡黙だった。



何故小谷の法印は徳川幕府を倒したか?

 

徳川政治の中身は腐敗ばかりだった。それを実際に見て話を聞き怒り心頭達していたのは小谷の法印、つまり勝海舟の爺だった。

彼はあんまとして幕府の中に入り、其の寝物語で更に詳しく人と人の関係を知り、賄賂政治ばかりが行われていることをその肌で知り抜いていた。

あんまと言っても実は金貸しで日本の裏金は皆小谷の法印が動かしていた。大名貸までシテイたから大資産家であった。大名もお谷の法印には頭が上がらない。そして徳川の要職者にも金を貸していたから、徳川幕府の人事権と政治まで手に入れていた。大奥にも金を貸してした。自分の娘を其の大奥の人事権を持つ役職につけていた。

裏の世界も大奥も表の世界も支配したお谷の法印。

日本の士農工商以外の外道の世界も支配していた。の支配者となっていた。

其の爺が勝海舟を作った。そして日本の革命で徳川幕府を倒せ、庶民が幸せに生きられる良い政治をやれといった。勝は其の命令を実行しただけだった。

 

日本の明治維新勝海舟は其の操り人形で実は、お谷(小谷)の法印がやった。

小谷家が日本を変えたのだ。其の出自は新潟県の山の奥お谷村の畑のない百姓の小倅で親に捨てられた。食べられなくて江戸の流れていたものだった。

日本の流れ者が日本の明治維新をやったのだ。人の心とは不思議なものだ。武士でなく百姓で親に捨てられた人だった。日本の武士は腐敗にまみれて日本を良くしようというものはいなかった。武士たちは腐敗にもめげずそこで泳ぐことで金にすることだけしか考えなかった。志は賄賂で遊んで暮らすことで、人々のためとか。日本のためは、今と同じで考えない犯罪に没頭したクズばかりだった。幕府は、今の森ばかりしかいない日本自民党状態だった。

小谷の法印は不敗した徳川政権とその取り巻き大名を潰して、全国の日本人が健康で幸せに生きられる社会を夢見ていた。日本を綺麗にしようとして、一人奮闘して日本を世界の最新国家に生まれ変わらせた。

自分のように子供の時に親に捨てられない社会。間引きされない社会。老人を姥捨てしない社会を夢見ていた。百姓一揆が起らない善政を夢見ていた。その時徳川政権と大名では腐敗しかやらない。だから潰してあたらしい政治を行う。コレが明治維新で起こったことだ。

侍は道具でしかなかった。

明治維新の其の志は小谷の法印が持っていた。それを実行した。

 

西郷の官軍と勝の徳川聯合艦隊で、其の戦いでは誰が見ても勝海舟が勝った。

でも勝は以外にも西郷に白旗を要求はしなかった

江戸と城を西郷軍に与えるが、その交換条件として静岡を徳川の所領として開放して、江戸から其の徳川8万旗を移封させるというものだった。武士制度の廃止と大名制度の廃止をやった。

封建社会の廃止で現代社会に一気に進んでいった。

清水のお茶の農家は其の八万騎の子孫だ。清水の次郎長も勝の手下で。其の機嫌を取るために東海一の大親分にした。官製工事を一手にやらせたから、土建政治の建設屋をやらせて莫大な金をえた。そして其の金で八万騎の面倒を見させていた。清水の港からお茶の貿易を世界に向けて行わせ其の仲介を次郎長にやらせた。その党側旗本八万騎を支えたことを讃えて浪曲にした。だから民間では清水次郎長は人気者となっていった。浪曲界は勝の爺の小谷の法印の外道会の手下だった。

西郷は言いなりだった。どちらが勝ったかはこれではっきりとしただろう。

 

勝ったほうが交渉の条件を決めて支配した。

そして徳川政権は大政奉還し幕府は終了した。勝がやったことだ。勝が徳川を日本政権から排除したのだ。それは勝のじいさんの遺言だった。不敗した徳澤政治を全面的に終わらせろ!

小谷の法印が勝の血筋の爺さんだった。勝は小谷の法印の孫の一人だった。

 

明治維新はここから始まった。勝は明治政権を指導した。

其の原理は中浜万次郎の米国基督社会と工業社会の政治だった。

革命には破壊と再生がある。

破壊が勝海舟なら中浜万次郎は其の再生をやった。

福沢諭吉中浜万次郎の影武者で中浜万次郎が旧士族から狙われ殺されないようにカモフラージュで福沢諭吉の名で中浜万次郎の思想を日本に教育をした。現代社会で工業社会の日本を作るために。

ソレが学問のススメだった。福沢諭吉の名デ出版された。

日本の知識階層15%がそれを買って読んだ。新時代とはこれかと人々の心に火をつけていった。

身分制度なし大名藩制度廃止!皆人は平等新知識こそは日本を工業社会に導くソレが新教育だ。そして其の教育は日本国民に誰でも与えられて、皆その機会に恵まれると知った。国民皆教育

政治は武力ではなく。人々のフェアネスのこころ(ソレが学問のススメに書いたモーセの十戎と神の言葉からもたらされていた)で其の社会を作っていく政治家を選択し、または自分が立候補をして新しい社会を築いていくことを諭した。

選挙で日本の政治をするものを選ぶ。

自由民権運動が起こった。日本に政治の波が庶民を巻き込み起こっていった。

 

明治維新封建社会儒教精神から、基督精神に移行する革命だった。精神革命と制度革命が同時に起こった。

日本の明治維新は歴史で言えば、フランス革命と米国の南北戦争を同時にやったことであった。

この170年間それに気が付かなかった日本人?

自分が基督の精神を常識だと思って生きている。でもソレが基督のフェアネスと同じだと知らない。

侍が政治革命をしただけと思い込んでいる。

やったのは奴隷が日本を開放したのだ。日本人はどれだけボーっとしているのか?

自分が何者でどこに行くのか考えられない?うつけものだ!

今からでも自分の存在の意義を思い起こして考えないと未来はない!

其のためにこれを書いた。これを読んで本当の日本を考えてほしいものだ。日本の未来は日本の庶民が作る。官僚と政治家に勝手な真似をさせてはいけない!

 

明治維新勝海舟が破壊をやり中浜万次郎が再生をやった。

この二人が今の日本を作った。

その背後で資金を出して大きな絵を書いたのは、勝の爺のお谷(=小谷)の法印だった。

だから最後にこう言える。

明治維新はお谷の法印がやったことだ。勝海舟は其の孫でその家系はお谷の法印の陰の力で幕府の要職を固め、大奥を支配した。幕府の要職の最後の決定権は大奥にあった。お谷の法印は幕府の隅々までのことを知り抜いていたから其の肝腎の食に全て自分の子供を配した。それが勝海舟を支え幕府を言いように操っていったから、勝もあれほど見事に活躍できたのだ。多分日本一の金持ちだった。

 

小谷家が日本を明治維新にしたのだ。其の要に勝海舟がいた

 

明治維新は勝のおじいさんのお谷(=小谷)の法印がやらせた。勝海舟はその最後の主役となって時代を変えた。

 

小谷の法印は、新潟の小谷村の水呑百姓だった。その親から捨てられた。其の挫折と親のない子供の孤独にも関わらず、心を曲げもしないで、徳川政治では日本は良くならないと喝破した。其の徳川幕府であんまとして毎日朝から夜中まで働き、その裏の裏まで知り抜いて、金貸しをやった。人の心の貧しさ、いやらしさ、自己中をさんざんみて、其のいやらしさを利用してかねをかし又其の情報で返済をさせた。

其の中で人の心の正しさを持ち続けて、徳川政権と其の大名たちのことを見きっていた。

汚いものを知りそれに染まらず正しいことを考え義憤を覚え己を高めてに日を我慢してじっとこらえて来る日を待ちその用意をしっかりやっていった。

其の小谷の法印が其の家族全員と其の莫大な金と人脈を利用して、幕府の要職に小谷家の子供達を入れ、又其のシンパの人々を幕府要職や大奥の役職につけていった。その最後幕府乗っ取りで幕府崩壊の計画の完成の一手が勝海舟だった。

徳川慶喜を次期将軍に選定したのは小谷家だった。

 

明治維新は小谷の法印が日本の未来を心配して、勝海舟を始めとした小谷家がやらせた日本基督精神革命だった。言い換えれば現代社会を日本に移植した。

 

誰がやったか?といえば嘘になる。本当は、小谷の法印が明治維新をやった!

勝海舟は其の孫の一人だった

小谷の法印がプロデュ−サーで主演が勝海舟で脇役に其の親戚(お谷の子供と孫)がなってシンパ(才能がありこころが綺麗で日本を思って動く人)を更に其の周りに配した。と言ったらわかりやすいか?

 

勝海舟の家系は今はない!断絶した。

 

今勝家をついだのは徳川慶喜の5男が、勝の慶喜への申し出で勝家の養子となり勝の家を残した。

勝の息子はいたが殺された。

勝の息子は日本初めての米国海軍士官学校アナポリスを出て、日本人初の米國式軍事思想と仕組みと訓練法と戦略を知った人だった。勝の作った帝国海軍に入隊したが日本式いじめで殺された。海軍大佐まで成っていた。次は将官になる直前で死んだ。

もし生きていたら日本海軍は米国式となり、軍隊編成も米国式となっていただろう。第2次大戦も其の結果が変わっていたかもしれない。

先が見えない人が政治で力を持って自信を持って、間違って米国式からドイツ式に憲法から全てを変えた。

ソレが日本の第2次大戦だった。其の米国は世界を支配した。ドイツも国土が焼け野原になっていた。

先を見ぬく目のあったのは勝海舟中浜万次郎だった。

 

今の勝家は江戸時代の徳川家の逆行家系になっている。

徳川政権を倒して明治を作った家系が、其の前政権の家系徳川になった。

これでは元の木阿弥ではないか?

 

今の日本の軍隊の編成はドイツ式だ。このままでいいのか?



ソレが日本政権の実態ではないのか?

日本は明治維新で基督革命をして途中でドイツ式帝国主義に変化した。現代カラ、前時代の貴族社会で奴隷社会に帰ったのだ。

今の日本は利権社会で政治家と官僚と産業が貴族で残りは奴隷だ。400万人ほどが1億1千5百万人を支配して金を取り殺している。

貴族に憧れた長州のバカ侍のやったことだ。今でも其のバカがやっている。

この迷走が日本を地獄に落とした。この迷走が日本を大敗走させた。

未来を筋目を見る力がないとこんなことになるのだ。

物事の本質を見る目をモテと基督が言った

今の日本はなんにもない。又、大敗走だな!

手に職をもたない人は、フェアネスがわからない。人の痛みがわからない。科学を理解できない観念だけが空回りするだけだ。虚学を学んでもそれは本質を見抜く力にはならない。虚額でその学閥で資格をとって物事の本質は見えない。バカを役で飾って失敗している日本型政治と官僚時代だ。学歴とは虚の世界に印だ。実学で仮説を作り実現した人だけが本物の能力者だ。世界を変えて人々を豊かにしていく。虚学では腐敗政治をやるしか能がない。犯罪者だ。

人権がない社会が科学がいい加減にしかできないことと同じだ。

つまり虚学だ。実学がデキる人が大事だ。QCは実学だ。

残念だが今の日本の教育は虚学だ。

日本の企業と政治は、物事の本質を見ないで形だけでやっている。張り子のトラだ。

やがて死がやってくるソレが人類の歴史だ。

 

お谷の家系は残っている。だから勝の血筋が消えてもそんなに嘆くことではない。

例えば男谷精一郎(幕府の剣術指南役デ奉行格。勝海舟のいとこ)だったの家系は続いている。江東区で今も其の子孫は住んでいる。

それ以外でも、今では数百名にもなる家系の人々がいる。お谷の血筋は残っている。



法印とは外道の世界の天皇天皇家から任命されてなる。マア莫大な金と人脈がなければなれない。

だから徳川政権とは治外法権で、法印の外道世界は徳川でも犯せない。

徳川幕府士農工商だけを支配しした。其の士農工商以外の世界を外道とよんだ。

人道とは士農工商の士道だけにあるもの。だから士道とは言うが農道、工道、商道とは言わない。身分が違うからだ。其の三職も奴隷だ。更に其の下が外道。奴隷の奴隷?

其の日本の外道の世界を支配したのが小谷の法印だった。

中浜万次郎は其の外道の一人になる。

福澤諭吉は中津藩の武士の家系で士道だ。

小谷の法印は水呑百姓の捨て子だった。元農民で外道に落とされた子供だった。

外道で下人だった。

 

小谷の法印は外道世界の支配者ですべての裁きは最後は彼がした。借金をして返さなければこの外道が騒いだ。例えば乞食が街中から集まり其の返さない家の前デモ騒ぎを繰り返した。それでも返さなければ外道全体が其の家を取りまき生活が出来ないようにしてしまった。返済しないということは出来ない相談だった。

大名には幕府からの圧力をかけて返済させた。商人が大名に貸したら、大名は徳政令で商人からの借金は棒引きだが、法印から借りたら徳川幕府が其の取りたてを陰に陽にやるから黙っていられない。貸し倒れを一切しないのが法印貸しだ。

小谷の法印は日本の影の金貸しで最大の大きな支配者だった。

だから更に表世界の幕府の要職をその小谷家系で占めてしまえば、日本全体を支配した人となる。

士農工商(徳川幕府)+外道の世界(お谷の法印)=日本全体の支配者(=小谷の法印だった。)

日本は2つの世界に分かれていた。

表と裏とよく言われるのはそこのためだった。表が徳川政権なら、裏世界は小谷の法印の支配だった。

小谷の法印は両方の世界を支配した。それを初めて日本でやった人だった。一代の傑出した人物だった。

やはり実学の人で人権を知っていた?

勝海舟は小谷の法印が最後の一手となるために自分の子供の一人(=勝の親父小吉は其の子供の一人で大金持ちだったが、貧乏人の振りをシテイた。)に旗本の株を勝に買って与えた。その名が勝の名前だった。やがて幕府の要職(老中)に付け、徳川政権全体を支配して、政権を終わらせ日本の腐敗政治を辞めさせて、あたらしい日本全員が参加できる世界を作るために。

小谷の法印は正しい心をドンナ時にも持ち続けて、徳川政権の腐敗の中に身を置き、身を焦がされながらそれに耐え、時を求めてじっと我慢をして正しい政治で皆が幸せになれる社会として、明治を創りだしたのだ。貯めた金は其の徳川政権転覆のために使った。

これも不羈の心を持ち、実学で物を考え。更に人として何が大事かを自分で考えた人だった。



誰が明治維新をやったのか?

 

明治維新は下人(奴隷)が日本を革命した。侍ではなく!

其の中心人物が下人(=奴隷)だった。

お谷の法印はお谷村の水呑百姓で其の親から捨てられた子供が後のお谷の法印。

其の孫が勝海舟。其の従兄弟が男谷清一郎(徳川政権の剣術指南役で奉行並。)その他幕府大奥の要職に次々と其の子供達が散りばめられ幕府を支配した。其の最後のコマが勝海舟だった。

小谷家全体が明治維新をやった。3代かかった。そのために小谷家の莫大な金が惜しみなく注がれた。金貸しで稼いだ金を明治維新を作るために使われていった。

中浜万次郎は高知の土佐で中浜村の水夫で下人。

福沢諭吉だけは中津藩の武士の家系だった。適塾から出て浪人になり一応下人になった。

 

明治維新は下人革命(奴隷革命)キリスト精神でフェアネスの革命だった。

侍は其の手玉に取られて、腐敗でコロコロと動かされ死んでいった。

江戸時代で終わっていた侍の時代!まだ侍を気取って演っている政治家と官僚は江戸時代で其の存在は終わり、明治でも、今の時代でも役立たずだった。

 

海舟の名は黒船に怯えた日本を見て、自分もそれを手に入れて欧米に負けない国創りをやる決意表明だった。工業社会がなければ鉄製の軍艦はできない。海舟、鉄舟

土佐藩吉田東洋と似た単純さがあった海舟。

 

私は高校生の頃コレラブリタニカの百科事典で調べて時系列にして其の関連性を調べて氷川清話を読み、学問のススメを読み吉田松陰を読んだ。福翁自伝も読んだ。漂巽紀略も。それらを整合性を図り坂本龍馬はは勝海舟の鉄砲玉だと分かって、日本中が坂本龍馬が人気でいた事がおかしかった。

アーネスト・サトウの日記もそこで発見した。

指人形をほめてその演者を忘れている日本はどんな頭だ?と。虚だ。

勝の感謝で死んだ手下を慰労し称えるために浪曲師に語らせた。其の例は多い。西郷もそれだし。手柄を手下の名誉にして自分は何もしなかったかのようにした。

退職してから更にブリタニカと其処に出てくる関連本を読み全国からそれを図書館ネットで集めて読みコピーをした。連関図を得利何があったら推論仮定した其の裏付けを文献で探した。手がかりはブリタニカ百科事典26冊?にあった。

半年あまり専門書を全国から取り寄せたので、図書館の係官から図書館について感想を書いてくれと頼まれた。

ロスの中央図書館とシンガポール台北の図書館の考えたかと日本の不足点を書いてやったら、全国紙の図書館誌にソレがでていた。

 

日本中からあつめた小谷家の情報も其の中にはいっていた。

この時江戸時代の金の総量(小判の枚数とその金の含有量)はいくらになったかも調べた。どこにもソレが書いていなかったからだ。

江戸時代の経済を近代経済で見たらどんなことが行われていたか?ソレが現代日本経済の基礎になるから誰かがやらなければならない。そして半年後にソレが正確にわかった。

最後は勝海舟が書いた集塵録がそれを締めくくってくれた。

閑話休題

 

お谷の法印の続き、

もっとしっかりした考えと強い意志の男が其の推論から見えた。ソレがお谷の法印だった。

日本の明治維新はこの人が行い現代社会に日本を変えたのだ。

其の日本の歴史の大嘘にも気がついた。

アーネス佐藤の日記があった。

それに品川談判に英国大使パークスと、其の書記で日本語の通訳として、自分が参加したと書いてあった。詳しい話はそこにはなかったが、私には其の意味がはっきり読めた。

西郷隆盛勝海舟だけではなくパークスが欧米連合艦隊の代表としてそこに参加していたのだ。

西郷が勝ったことになっていたが実は反対で勝海舟が圧倒的軍事力で有無を言わせずに圧勝していた。其の講和条件は勝が描いたとおりになった。ソレが江戸城移譲。大政奉還だった。

私は50年前に此処に書いたことを調べて推論して其の裏付けをブリタニカ百科事典で裏付けを見つけて行った。すると日本の歴史は大嘘ばかりだと気付かされていった。

日清戦争の賠償金は800万テール(かばんで1600万両)だったが、ロンドン経由でそれを両替して日本に支払われたのは其の半分の400万テール(コレは小判にしたら800万両)だけだった。英国にピンはねされていたが日本明治政府は黙ってそれを受け取っていた。つまり英国が日本を支配していたから日本政府は黙って英国のピン跳ねを許した。それも分かった。

この清國の賠償金の800万テールは、およそ日本の江戸時代に作られた小判の10%に相当した巨額なものだった。元禄時代に発行された小判の総量は1000万両。其の1.6倍にもなる。この金が日本近代化資金に大きな貢献をした。

 

日本の明治維新は下人だった勝海舟がやったが。首謀者は、其の爺さんのお谷の法印が徳川政権では日本は腐敗したままで変わらないと判断し、日本改造計画をやることにした。

其の小谷家の子供達を幕府の要職に付け、転覆人脈をそこから幕府内につけていった。其の決定打が勝海舟だった。勝海舟はお谷の法印の孫だ。

お谷家が明治維新を皆でやったのだ。

ソレが侍ではなく日本の下人だった。本当に正義を知っていたのは庶民だった。

これが日本だった。

 

コレラを高校生の私は知って今後の人生を考えた

 

私は大学を選ぶのに勝海舟を選んだ。其の東洋大学勝海舟がつくり吉田松陰を祀っていると聞いた。其処に決めた。万次郎の東洋の夢を追い駆けたいと思ったからだ。

私の恩師はゼミの経済政策の佐々木哲郎教授だった。一橋大を卒業していた。そこは徳川慶喜が作った大学だった。一橋のバンからスタイルでゼミで個人毎に鍛える個性教育をそこで私も受けた。

一橋大の話は後でそれを知った。何かの因縁だった。慶喜勝海舟と東洋の夢。

其のゼミで九州のゼミ連大会に行かしてもらった。其の途中で萩により松下村塾に武士の邸跡を見て回った。松蔭の松下村塾は6畳ほどの部屋で外は馬小屋の中に畳の床をつけた粗末なものだった。此処で維新の毛利藩の下級武士たちが学んだ?一年ほどの講議で何を学んだのか?自習室さえなかった。松蔭の話を聞くだけ。読む本もない。萩の町には何もなかった。明治の要職社たちが綺羅星のごとくイタ長州藩は其の影も残っていなかった。こんな人物しかいなかった。長州の田舎侍を政治のトップにしたことは間違っていた。

吉田松陰の匂いも残っていなかった。

東洋大学には何もなかったが恩師の心を思い出す。其の生き方はフェアネスだった。

勝が残したものもないし、吉田松陰が残したものもなかった。フェアネスの形さえ大学内には残っていなかった。

小谷家のものも全く無かった。無知とはこのことだと思った。日本の一番重要な歴史が破棄されていた。コレでは日本の基盤がないことになってしまうと思った。

いつか其の話をしなければいけないと感じていた。

 

ネットのお谷の法印の出身地は書き換えられたいる

お谷の法印はお谷村の水呑百姓であったと書かれていたし他の本にもそう書かれていたが今はネットでは柏崎に変更されている。ウィキペデイアで。

コレは官僚が統計の連続性をなくして本当のことが国民にはわからないよう、にごまかすいつものやり方だ。日本の本当の歴史さえ騙して隠してバカがいいと思わせる。くだらないやつばかりがいる日本だ。

コレは何度もコピーをして系図関連図を書いた。又主要人物の生涯の歴史などを書き、皿の其の親密度とその主張で関連図にした、そこでお谷の法印はすべての扇の要になっていた。だから私の記憶に間違ない。

この一時でも日本政府は信じてはいけない事がわかる。ブリタニカの百科事典で調べたらいい、古いものを見れば正しいものがでている。

あたらしいと日本政府の圧力で書き換えられているかも。官僚がこうやってでたらめの歴史を作り統計を操作し、法律さえコピーの切り貼りで自分の都合よく変えて、自分たちの利権を拡大し国民を騙している。アンフェアネス政治と官僚が日本の正体だ。其の証拠が又増えた。この一件で。

 

キリストは言う。

もし一番偉い人と呼ばれたいならば一番汚れた仕事をしなさい。一番汚く来ビスィ井子とする人が一番偉い人なのだと。

ック名を売る人は一番下から世の中を来た人しか本当の辛さとやがてやってくる未来を見る事は出来ないと言っているのだ。

中浜万次郎は現にの家族に囲まれて、下人の仕事をして、日本の一番底辺の暮らしを見た人だった。そして米国に行き、アジア人として白人社会の人種差別の生活をした.

日本と米国の底辺からその両方の社会を見た人だった。

何が人に良いのか?悪いのか?そして文明とはナンなのかを見た人にしか本当の社会の改革は分からないと言う事だ。

キリストの教えに行きそして日米とョーロッパを見て、文明とは何かを考え抜いた人が中浜万次郎だった。




又小谷の法印は新潟県の小谷村の貧農の出て、そこから口減らしで目くらのマッサージ師として江戸のマサージ師に送られたくられた人。捨てられた子供で、下人となった人だった。

明治維新はその小谷家の家族がその一番の活躍をしているが、江戸幕府の倒壊は、この家族全員の支えで、それが出来た事だった。

勝海舟はその代表として活躍を下が本当の裏で糸を引き操っていたのは別の小谷家の人達だった。

日本はその社会の下から日本を見ていた人が日本の革命をしたと言う事だった。

トップは何が本当の問題川からな儒教をやると目が見えなくなる。

侍には革命は出来ない。

時代の大きな変革を渡りきれるのは、下人達の中からしか、ものが見える人が出て来れないからだ。

キリストはそれを言っている。

小谷家は下人の家族だった.

でも日本で一番の金貸しになっていた。その財力が勝海舟の背景にある。

明治維新は表面では、その綾釣り糸で侍が活躍した。そうに言われているが、本当の仕掛人達は全て下人だった。

そして今の日本の土台を作ったのも中浜万次郎がいたから出来た事だった。