kushyyoshyのブログ

G+で私の書いた者を公開して来たがそれが中止になると言うので?のブログに切り替える事にして今移転している。

日本人はフェアネスを知っているか?

日本人はフェアネスを知っているか?

 

Yes!

日本人は江戸時代から知っていた。フェアネスとは読んでいなかったが。良知という儒教の言葉がある。儒教の中に陽明学派というのがある。それはフェアネスに近い思想だ。神の言葉はないだけ。儒教陽明学は広く民衆に支持されていた。二宮金治郎の思想も陽明学だ。だから日本人は基督の言葉にそれほどは違和感はない。

日本では明治維新儒教朱子学徳川幕府の思想的バックボーンだったが、その思想と制度は破壊されてフェアネスになった。

民間人は良知からフェアネスになった。

でも一般にはいい心と呼ばれていた。

これは江戸時代。

朱子学では忠義=義とは儒教の事だった。陽明学とは反対の奴隷隷属思想が朱子学だった。科学を否定する儒教頭にする。現代とは異次元の社会思想だが、まだやっている朝鮮人中国共産党がある。

アジアではまだ根強く儒教が残っている。それが儒教頭といってが人権社会を阻んでいる。

 

明治時代はフェアネス=義これは日本ががまだないから私は明義と訳した。

朱子学で義を使ってしまって同じ言葉で使えばダブルスタンダードになってしまうから分離した。

フェアネス=明義。

 

日本は戦国時代以前から農村ではフェアネスが当然の思想として定着していた。

科学的に人は平等で皆その共同体の同じ権利を持つ人々だった。

日本社会は500年以上のフェアネスの社会を持っていた。

日本のアイデンティティと言う文に書いておいたが、日本の文化の根底には農業共同体の社会がある。

農村はその共同体だった。

佐倉惣五郎はその農村を幾つも纏めた惣と言う村々の代表者だった。江戸時代の佐倉藩の中に会った。今の千葉県佐倉市宗吾霊堂前と言う京成電鉄の駅がある村だ。

全人格でその惣を纏め守り、その生産性を向上させる為に働く、一番勤勉な者で読み書きも出来、日夜その力を利用して農業の革新に邁進していた農民を愛する者だった。

だからその農民達が領主の重税で、一家が生活出来ない程追いつめられていた時には、その政治に批判的にならざるを得なかった。

そこで自分の一家を犠牲にして喪その願いを聞き届けてもらえる将軍に直訴を思い立った。一家が全員貼付け獄門首にされて殺されることを覚悟しての事だった。

そして直訴は遂げられ佐倉の藩主は交代させられた。でも直訴は御法度で一家は貼付けになった幼い子供まで貼付けにされて槍で突かれて死んでいった。

佐倉宗吾郎一家は全滅した。その宗吾郎の惣の農民達は全員が軽い税に戻させて助かった。

神の言葉を実行して佐倉惣五郎は殺された。

 

キリストはこう言っている。神の言葉に死んだ者は私の隣の並び讃えられると。

これが日本の佐倉藩の農村で江戸時代に起こった。

日本の農村の共同体はフェアネスで経営されていた。その上部社会が侍で儒教で頭が壊れていた。アンフェアネス社会が日本を支配していた。

この二重構造夜会は残念ながら日本は今でも続いている。

民主主義でインチキ選挙で朝鮮人が大量に当選している。皆儒教頭で論理的思考能力が低い。朝鮮人が多い。マッカーサーがやらせた日本破壊活動だった。

朝鮮人は頭が悪いのに、頭のいい日本人を使い、そのいい仕事をだめにしている。

朝鮮人ユダヤの犬天皇を担いで、この二重構造を保っている。

天皇は偽物で朝鮮人だ。日本からたたき出せ!要らない。

 

日本の農業社会の農村では、早くからフェアネスの思想が当然のこととして実行されていた。

今でもフェアネスと言う言葉は農民達は知らないが、その農村に行ってみたら分かる。旅人はいつも親切にもてなされ困っている人があれば必ず誰かが助けてくれる。それが日本だ。でも犯罪者は許さない!当たり前だその村全員がたち上がり反撃に出る。

神の言葉がキリストが伝えられた事は、彼等は聖書を読んでいないから知らなかった。聖書が入る前から日本人で神の言葉に死ぬ者達が居たと言う事になる。

日本では明治以前に完全に農民社会ではフェアネスは実行されていた。

それは1653年の事だった。

今から数えて360年前の事だった。

キリスト教解禁は1874年(明治6年)その年から数えれば211年前の事になる。

 

明治維新中浜万次郎は政府と制度を改正した。

その解説書が学問のススメだった。その中に神の言葉モーセ十戒フェアネスで儒教精神と制度を批判した。それが日本の常識として定着していった。150年前だ。

その本は英語発想が随所に現れた。英語学習の始めに読ませて日本語との違いをハッキリと日本人に分からせる為に良い。その違いをはっきり見せた。

結論から議論を話し相手との違いを見せて賛否を話し合うテーブルが出された。

 

天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず!

 

この一文こそ英語発想の結論または自分の主張をまとめた言葉だった。

日本人達には目が覚める日本語の使い方だった。

英語発想の世界が西洋だった。

キリストの精神が貫かれた言葉で儒教全部を批判していた。人権こそが工業社会の最底辺だと分かった。フェアネスは更に高い目標で人類の理想的状態だった。

 

フェアネスは農業を先進的にやった人の心に自然に湧いたもので、人を自分より大事にして生きる心だ。

また職人にも先進的な職人親方となった人々の心にも同じことが起こった。新しいことをやるときにはだれも知らないことに挑戦し続けることが必要だ。これは刀を発明した日本職人にもソレが見られた。1200年代以前にその制作が始まった。

だれも知らないことは大きな不安や自然の原理との格闘になる。

そして人がそれを便利に感じるかどうかが客観的判断になる。

科学を行い。人の心で満足を測る。

ここにフェアネスの心を持たなければ人は相手にしてはくれない。ソレが新しい発見や発明となっていく。人と人は協力しなければ何も出来ない。その協力の心はフェアネスでなければ此の世界は動カナイ。

日本人はこうして自然と対置したことで日人と共同して心を開き問題を解決する為に、考える力とフェアネスの心を持つことが出来た。

それは村の中、町の中でも生きていた。

共に日本では長い時間かかってソレが浸透していた

 

江戸末期に農業では二宮尊徳がいた。

倹約と創意工夫と家計簿式経営を数値化してみる。そしてその計算で正しい経営をする事を教えた。

彼は自分の農業を改革して豊かになりそれを見た隣人たちがそれを聞きに来るとすべてを教えた。そして村全体の改革プランとひとづくりをした。村中が豊かになり人々は勤勉で人を助け倹約と工夫をするようになった。それを聞いた殿様が自分の国を全部改善してくれと二宮尊徳に頼んできた。日本最初の経営コンサルタントになった。

数年間そこで一生懸命調査と工夫と大名の経営の無駄を省き改革した。たちまちその国全部が豊かになった。それを聞いたその隣の国もその隣の区も大名たちが二宮尊徳の家の前にコンサルタントの名人を呼びに並んだ。

次々と国を改良して将軍が日本全国を任せたいと言い出した。

それもやった。二宮尊徳は日本を変えた。

二宮尊徳は江戸時代の日本を変えたのだ人の心さえも変えたのだ。

日本人の心の中には彼の教えだ今も他働いている。

日本人がいいところは二宮尊徳により高められたのである。

日本人の特徴に誠実がある。どうも世界にない性格のようだ。

バンコックに住みそこの大家が釣り銭詐欺電気メーター詐欺で金をごまかし続けていてそれをたしなめて返金をさせていた。計算機で世界く答えを出して釣り銭が違うとやって見せて確かめさせた。そのうちわざと金を多く返してきたからその多い分を返した。それから態度が変わった。私の言うことは騙しがない性格だと思ったらしい。日本人は他とは違うしタイ人とは違うと気がついた。電気メーター詐欺は相変わらず3〜4倍に毎月なったからアパートを変えた。電気代は下がった。でも他の人には相変わらず釣銭詐欺や端数切捨てなど金の節約をやり続けていた。金を沢山持っていた。死ぬ前に話していたこのアパートの改装で3000万B=一億円使ったと。3棟のアパートの資産は入れないでだから大金持ちだろう。

誠実にやれば自分も他人も気持ちよく生活できるのにと思う。がそれから一年後に彼女は癌で死んでいった。若かったが、、、

タイ人で誠実な人は珍しいがでもいる。目を見れば分かる。

ソレが日本の農業の決定版になりひとづくりが出来た。その人は読み書き計算ができ本を読み考える。自分の田畑で読んだ知識を実験する。勤勉で倹約家で工夫を常に行う人だった。誠実な性格が農業共同社会に必要だった。日本人の性格の誠実は数千年の共同稲作社会が作っていった。

ソレが日本の工業化の労働者として原動力となった。

農業の豊かさが食生活を支え文化を作った。農業に金がたまり工業の資本が蓄積された。

先進国になるためには日本の農業の先覚者二宮尊徳を学ぶことがいかに重要か分かるだろう。稲作社会であることが重要だ。

大東亜共栄圏の話を勧めた日本の時代はその二宮尊徳は日本中の小学校に建てられそれを目指して学問に励めと教えていた。

あの二宮尊徳は今何処にあるのか?

今又日本は100年デフレでもう一度立ち直らなければならない時期に入っている。

二宮尊徳の蘇ってもらい今一度その働きで日本を立ち直らせないといけないのでは?

 

明治維新は基督の革命だった。

其の精神は学問のすすめに書かれている。

神の言葉もモーセ十戒

450万人(/3000万人が日本の人口)の知識層がこれを読んで新しい時代の基礎を知った。つまり基督の霊の洗礼を受けていたのだ。

聖霊を知った日本人。それはフェアネスだった。

フェネエスで従来の常識は間違っていると弾劾をした。

江戸時代から近代社会に一瞬で飛び込んでいった。そのおかげで日本は精神革命ができ工業社会のモラルを手に入れた。

身分制度廃止、廃藩置県で単一国家にした。名字制度で国民は皆姓名を手に入れた。刀は廃止された。裁判制度が導入されて犯罪者は公平な裁きを受けることになった。警察制度が出来た。民主主義社会が出来た。学校制度が出来て国民は水底に入り読み書き計算が出来社会に仕組みや科学を習った。その結果で西洋社会の科学を導入して工業社会を作っていった。

学問のすゝめが日本を替えたのだ。市民意識革命を起こしていた。

日本革命と私は呼んでいる。(これは別の文書に書いておいた。)

近代日本はそこから始まった。

日本の封建社会が西洋社会のキャッチアップを行った。その教科書だ。

 

戦後の日本の工業力の生産性を向上させたデミング博士のQC活動は其の日本人の心にあったフェアネスのこころと科学して生産性を上げることを活性化させた。フェアネスが表に出た瞬間だった。

デミング博士のQC活動が日本を科学で生産性を上げる物づくりの国に変えたのだ。

官僚は邪魔をしただけだった。今でもそれをせっせとやり日本の生産性を破壊している。官僚は生産性の敵だ。官僚システムこそ日本の経済を破壊している阻害要因だ。

官僚は生産性を破壊する。

天下り一匹でその組織が破壊される。考える人とは利権でスポイルされる。

フェアネスを破壊する利権政治をやめろ!

日本が立ち直るには利権社会は邪魔だ。ソレがあるかぎり日本は立ち直れない。官僚制が癌だ!

日本社会の中で談合利権社会と個人ではフェアネスによる競争社会を望む個人が併存していた。

談合利権社会が上部で腐敗して日本を生産性破壊をやっていた。

其のしたで今も個人が生産性を向上しようとフェアネスの競争をやって生産性を上げている。

この2つの潮流が日本の民間社会には残っている

日本人はフェアネスか?

YESでありNoである。のはこのためだ!

 

2016年2月9日(火)

 

明治維新は基督の革命だった!

 

学問のすすめの中は基督の精神であふれていた。今読みなおして基督の言葉を全部暗記した私が読み直したら。神の言葉を最高にたたえ、モーセ十戒は近代人の常識としておこなうものと書かれていた。

またフェアネスの立場に立って人権とは江戸時代の忠義が義という考え方を批判して大議論を明治の日本で起こしていた。

 

曰く、楠正成の主人のための死はそこらの馬番の権助の死と同じで大した意味は無い。とか。人権から見たら其の他人を助けたことだけが大事で身分の差で高い人に尽くすのは人権差別だということでそれをたたえてはいけないという戒めだった。

主人の敵討ちはリンチだ。赤穂浪士はリンチの暴漢だ。

 

又義士として江戸時代に芝居にされ毎年の恒例で歌舞伎が行われたあたり狂言赤穂浪士のアレは私怨でリンチだったから重大犯罪だ。テロだ。称えるべきものではないと断罪した!フェアネスで忠義を考えればそのとおりだ。

これ等は当時の庶民の英雄だった。

だから

中浜万次郎の学問おすすめガでて皆いきり立ち全国民議論をした。

基督のフェアネスは全国に広がって知られることになった。人権は考えかたが庶民を人として考えていた。

主人が全てではなく。国民皆等しく同じ権利を持って人としてフェアかドウかが大事だといった。

 

フェアネス=義人とは一人佐倉惣五郎だた一人が日本人の義人だといった。

つまり神の言葉汝の隣人を愛せよ!

それを行って全村数千人を己一人の直訴によって佐倉藩の強欲政治を幕府に訴えソレが聞き入れられて藩は取り潰しになり悪代官は罷免された。

しかし直訴は重罪で自分の家族と一緒に磔になって殺された。直訴で助かり年貢が安くなった数千人の農民たちがそれを泣き叫び苦しみ見守り神とたたえて祈り続けた。貼付け刑の槍で刺されて苦しみのたうちまわり数日間の苦しみの中、惣五郎と子どもたちと其の妻や老婆、爺爺は死んでいった。家計は断絶した。これは儒教政治だった。民主主義で考えたら、直訴で正しいのは民衆だと知れたらそれは無実となり賠償金が佐倉藩に賠償金支払いとなって当然だったが。

此の自己犠牲の精神を中浜万次郎が改めてフェアネスを評価したのだ。

宗吾老人ジャガで規定までも七人が厚い信仰でその義挙を讃えている。千葉県農民達が毎年感謝のお参りをかかさない。

 

日本の基督の神の言葉を思わせる自己犠牲だ。

 

コレが明治の文明開化のモラル革命だった。日本は其の封建時代から一気に近代革命の時代に入っていった。

 

基督の教えが日本の常識になっていったのだ。西洋社会が数百年かかったことを数年間でやってしまった。

文明開化とはキリストの精神を日本に入れそれを常識にしたことだ。聞いストとは知らず神の言葉も知らずでもその精神と常識として考えだした日本人達。フェアネスの精神は日本中に広がっていった。その上に科学を考える下地が出来上がっていった。

学問のすすめは西洋で想像された化学の定説を学問にしてそれを学べばいいといった。創造した結果で西洋では当たり前のことが東洋では初めての新しいことだからだ。効果は初めてやる効果があった。

科学の力こそが工業社会の根底だった。それを日本社会に流し込んでいった。ソレが学校制度だった。

 

明治維新とは中浜万次郎(=ジョン万次郎)という日本人の奴隷の少年が日本に行った近代化革命だった。

 

福澤諭吉が書いたことになっている学問のすすめや文明の概略西洋事情は全部中浜万次郎の作だ。此の点の証明は別の文でやっている。

学問のすゝめは中浜万次郎が書いたに証明してある。

 

諭吉は浄土真宗門徒で基督のことは知らない。英語も一年間だけの独学だけで話せるようになるか?新聞を読んでそれを批評する見識が出来るのか?

英語のネイテイブスピーカーで米国社会全体を知っていたのは中浜万次郎だけだ。NYtimesを読み即座に英語でその欠点や持論を言えたのは彼しかいない。彼は言葉が話せかけるようになると神学校に基督を学び聖書を3年間毎日読んでいた。教会にも行き基督の言葉と牧師の言葉の違いも知っていた。その裏も見た。ユダヤの奴隷だと気がついていた。カトリックプロテスタントも。キリストの言葉を言わない行わないで金だけ取る。

私は40カ所/教会に行き、そして説教を聞いている。

一カ所もキリストの言葉を言わなかった。協約聖書からに引用か抜き出した言葉の羅列だけだった。

旧約聖書だけを言うのはユダヤ教だ!

旧約聖書とはユダヤ教の印だ。

カトリック教とプロテスタント教はユダヤ教だった。そう私は気づいた。

教会は行ってはならないと思った。

よく新約聖書を読んでみたらキリストは牧するのは私だけだと言っていた。

愚か者は人間だと言っている。おろかものがおろかものを指導することなど出来るわけがないとも。

万次郎もそれに気がついた一人だった。

教会と牧師は詐欺師だ。

詐欺師につきあってはいけないと考えた。ダかアr日本でキリスト教が解禁されても中浜万次郎はそれに会わなかった。

 

キリストは基督の言葉を学び其の思想で神の言葉を行えソレが私の洗礼だといった。中浜万次郎は其の基督の言葉を聞いた。

機rスト京都なのに基督の言葉を知らないで人の言うでたらめを行いソレで満足して金を払って喜んでいるクリスチャンは基督の言葉を知らない基督にな関係のないユダヤ教の其の下の奴隷者だ。此の金が世界のユダヤに力を与えてている。ロスチャイルド/ロックフェラーはその金の運用係でユダヤが世界支配の拠点をやって仕えている。キリストの名だけが使われ中身はユダヤ教の奴隷版だ。

学問のススメも文明の概略も基督の言葉が前提になってその肯定で文章が書かれている。キリストの精神で書かれた書だった。

 

2016年5月17日

 

基督の比喩と日本の職人制度は同じ考える仕組みだった

 

日本の職人の徒弟制度は目で見て覚える。が基本だった。それは基督の比喩の言葉を考えて考えるチカラをつける仕掛けと同じ結果を出していた。

徒弟制度では言葉は使わないで親方のシゴトを目で見てそれを自分のものにするために自分で考え自分で其の技を見てそこに到達する訓練を自分で考えて工夫して異方のシゴトに到達していく。

其の合い間に試行錯誤をして考えるやってみる。又失敗し考える。やり方を変えてまた試す。其の何度ものトライアルから物の本質を見て其の本質に沿ったシゴトの仕方を学び発見していく。自分の技を磨いていく道具の本質を学んでいく。

親方のお客さんへの心遣いや態度から其の精神を知って学んでいく。社会が見えてくる。

奴隷の社会と人々の姿が見えてくる。自分のシゴトが其の社会に一部と認められなければ食べていけないから其の社会を尊重して。疑問を挟まない。疑問は飲み込んでシゴトでいい仕事をして行く。自然に良い仕事に客は集まりシゴトが自分を一人前にしていってくれる。

ソごとが職人を作り出していく。其のシゴトに人生を教わってシゴトの没頭していく。

人と人はみな平等だと仕事がイッている。皆お客様だといっている。

キッリストの世界がそこにもある。

職人の世界、それは基督の出した課題を考えて其の話の本質を知る亀の試行錯誤SUSU頭のトーレーニングと同じだ。

共に人として自然の本質を知りそれに従いシゴトをして行く職人と科学を考え始めた基督の弟子の道が違った。

でも職人は科学に従い自分のシゴトをしていたからなにか社会が変わればその科学をも一度見なおして新しいやり方で仕事をやっていける力を自然につけていた。

基督の教えも人はみな同じで特権はない。でも人は考える力を持っている。其の基本をキリストは其の言葉を比喩で言うことで基督の言葉を聞く人々に教えていた。

 

基督の言葉が科学を導いた。

其の言葉はいい木と悪い木を見分けるにはその木にできた実を見ればいい。いい木にはいい実が成り悪い木には悪い実がなる。

これは科学の本質を示唆した言葉だ。

いい結果を出すには其のプロセスをいい結果が出るように替えればいい!

QC活動の本質もこれだ。

発明の本質もこれだ!

 

日本人にQCはよくあっている考え方だ。見て覚えるやり方もあるし。統計とグラフチャートで其の特別の仕事を見て分析して仮説を見つけて新しいやり方で其の問題を解決して行く。

多分時間が短く効果が早いのはQCで、誰がそれを見ても反論だけいないほどはっきりした結果が出せるし、其のやり方は間違いなく誰でもできる方法がそこにある。

職人の世界は誰でも原理ははっきりわからないで職人が仕事で分かった世界で結果は誰が見てもいい仕事で満足させる世界だ。

素人では仕事の原理はわからない。原理を聞いても即素人にはそれを真似できない。

いい仕事の世界は自然の科学原理が働いているからQCで証明してもできるはずだが?

共に考える世界がそこにあり、自然と人間は其の原理に従い仕事をして行くだけだ。

目から見て学ぶ日本の職人の世界

言葉を比喩で考えさせる基督の教の世界。

共に同じく考えさせることをしている

 

でも職人は科学に従い自分のシゴトをしていたが科学は生まれなかった

基督の言葉を見て読み考える人だけが民主主義の社会を作ることで人々は平等でしたい仕事がデキる社会を作り科学の世界を発見して節約と倹約と誠実で裾をつかない時間を守る人を創りだした。それが今の工業社会へと扉を開けて言った。

基督の考え方は日本では職人の世界が近かった

基督の言葉だけが今の工業社会を作っていった。

それ以外の宗教は民主主義も作らず科学も生まなかった。

工業社会も作らなかった。

 

これからも工業社会だけが世界を牽引する。

 

工業社会を作れなければ其の国家は生きてはいけない。周りが工業国家になった自分はできないで農業社会では出ると負けだ.




神の言葉のストーリー(15JUN'16追加)

 

日本や海外である本/映画/事実などのリスト。

 

日本の歴史とフェアネス

 

日本には神の言葉を行なった事実や小説が西暦1500年代からあった。

 

明治維新で初めてフェアネスを知ったのではなかった。キリストの言葉で生きた日本の上杉はんが戦国大名時代から江戸時代全般でその精神で生きていた。450年間も日本人アフェアネスに生きていた。明治維新で初めて中浜万次郎学問のすすめではっきりとキリストの精神を書いた。それで全国民がその精神が西洋の精神で工業化の原点だと気がついた自分の理解を確認してやるべきことに気がついた。

明治維新で日本人は自分の精神は西洋のそれと同じだと気がついた。神の言葉は更に高いフェアネスの心だと知った。

デモ日本はM22の憲法制定でドイツ型貴族政治を入れて身分制度を回復させ利権政治を始めた。

此の時に勝海舟中浜万次郎福沢諭吉は暗殺された。クーデターだった。此の点に付いても別も文章で証明してある。

明治の大転換は明治22年!32年に暗殺があった。明治38年に日清戦争日露戦争と戦争国家に転じていった。