kushyyoshyのブログ

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日本の江戸時代の儒教勢力は西南戦争(1877年=明治10年)で消滅したその制度も消えた! 廃藩置県で県制度にして侍の主人=殿様が消えた。

日本の江戸時代の儒教勢力は西南戦争(1877年=明治10年)で消滅したその制度も消えた!

廃藩置県で県制度にして侍の主人=殿様が消えた。

主従関係が消え刀が消えた!ちょんまげも消えた!150年前だ。今は国民はフェアネスで判断している。

 

明治維新西南戦争で亡くなった人は約4000人。(戊辰戦争全体では12200人の死者だったから死者計16000人が明治維新のための亡くなった。)

この程度の少ない犠牲者で革命が出来たのは、勝海舟の采配のせいで双方の激突を未然の防いだお陰だった。

西郷隆盛勝海舟の品川談判は有名だが。その後見人に英国大使のパークスが臨席したことが決定的な西郷の負けを示していた。

日本では二人だけの談判になっている。でも英国の書記のアーネストの日記を見ればパークスが臨席していたし、大きな力を発揮したことがはっきりと書いてある。

(アーネストは日本語の通訳として英国大使について、その席に出ていた。)

3人+1人の通訳で談判して西郷の江戸決戦を抑えこんだのだ。西郷は勝てないと知って勝海舟に従った。

パークスは欧米の連合艦隊十数隻を東京湾に停泊させていた。幕府軍も艦隊十数隻で大砲を西郷に向けていた。西郷軍は大砲はほとんど持たなかった。欧米艦隊は中でもアームソトロン砲という強力な大砲で西郷軍に向かい。勝の落とし所に頷かなければ、ソレが火をふき全滅させることで合意していた。30隻の艦隊の砲撃が一斉にに品川の西郷軍歩兵中心軍に叩きこまれていたら、西郷軍は鹿児島でみた英国艦隊だけで火の海となったことの二の舞いを思い出させた。

西郷が品川で黙ってうなずいて江戸決戦は封印された。だからその数倍の死者が生まれないですんだ。

もし西郷が話を聞かなければ江戸は火の海となり、数十万人がなくなっただろう。西郷軍は全滅で5万人が戦死。幕府軍も10万人が戦い死者数は数万人。江戸市民が1〜20万人亡くなり江戸は廃墟。

それをしなくて済んだ。

勝の闇の力(小谷の法印は影の天皇だった、其の時は勝の親父が江戸の影の総取締をシテイた。)で江戸の火消しやヤクザその他の外道の支配下は、西郷軍が江戸に這入ったら江戸全体を火の海にすることを命令されていた。

西郷軍は江戸の地理には不明で、その無知に更に江戸の町中が火の海になっていたら、逃遅れて、徳川8万旗の餌食になって、全滅していたかもしれない。

茨城沖にはえ思と舞踊の徳川鉄鋼船艦隊が12関井て欧羅巴軍が討漏らした徳川海軍がその追悼隊となって艦砲射撃で東海道を打ち下がる手はずになっていた。三重、4重の殲滅作戦が5万人の西郷軍を待ち構えていた。勝てるだろうか?言うまでもなく誰が考えても全滅するしかなかった。西郷はそお婦人を聞き負けを認めた。

勝海舟の狙いは徳川政権打倒だったから、徳川幕府の体制奉還で新政府を作る事だった。

だから芝居をして、西郷軍が勝った事にして新政府を勝海舟が先導して作る事に主眼があったのだ。勝海舟は始めから徳川政権打倒だったのだ。

これが品川談判の結論だった。

西郷はそのとき辛口が聞けなくなった。本当は戦いに負けたのに、表面では勝った事にされ。勝海舟の言いなりになって、新政府を作らさせたと言う只自分が、ふがいないと言う事であった。

正直と言えば正直だが、何が信念だったか分からなくなっていた。現代文明と儒教思想で混乱したまま、最期には儒教思想とともに西南戦争で日本の儒教を墓に引きずり込んでいく役目をさせられた。

その事で勝海舟はかわいそうに思い。儒教で言えば西郷はいい奴だったと人情を示した。これは勝海舟の悪い癖だ。そこに朝鮮人ユダヤにつけ込まれる短所が見える。

 

でも日本ト勝海舟はその時のパークスと欧州連合に借りを作ってしまった。

英国の支配が明治の日清戦争日露戦争まで続いていった。それは英国の日本への命令だった。M28年まで日本の紙幣はオリエンタル銀行という英国資本の銀行が印刷していた。日本の中央銀行の役割をシテイた。

日本は自分の中央銀行を英国のオリエンタル銀行に支配されて、紙幣の印刷が出来なかったのだ。

日本政府はお札が必要になると債券を発行して、それをオリエンタル銀行に買ってもらう事で必要な紙幣を手に入れていた。

金融と外交での日本支配で日本は軍隊を利用されていた。日本は英国の傭兵だった。

品川談判時の借りが代償となって、日本をソレが苦しめた。M28年まで。日露戦争の賠償金無しは英国の差金で日本に金をやらないで邪魔をした日本独立阻止だった。

英国がインドを支配していた頃その玉座を英国に持ち帰っていた。ソレの返還を長いこと要求され英国はそれを返した。インド政府が要求して最近返還されたその金でできた椅子に沢山の宝石が嵌めこまれていたが、その宝石は返還時には全部えぐり取られてボロボロにして返還したそうだ。

英国とは最後まででたらめな犯罪国家であることを示した話だ

日露戦争でロシアの力を封じただけで英国では出来ないことを日本はやってやった。その借りは知らん顔で、更に日本を付き落としたことは日本人は永久に忘れてはいけない。

莫大な借金を支払う事が長い間続いた。

英国の正体を見せている。ヤダヤだ。

最近はEUに似たようなことを又、演っている。Bregjit,英国はユダヤと同じだ。二枚舌国家だ。

 

その後の日本明治政府は四民平等令(コレは特権を持った身分制度があったからやめたということで刀を持った人が,持ていない人を斬り殺しても問題ないという時代をやめたということだ)で刀狩りはその身分の象徴だった。其の廃止が秩禄制度の廃止で。江戸時代の藩は全て消滅した。廃藩置県だ。

旧体制の武士の反乱になった。それは儒教思想の特権階級の反乱だった。

日本人であれば誰でも苗字が許された。侍は消えただの人になった。切り捨ては出来ない刀がないし人を切れば犯罪だ。警察に逮捕され裁判で裁かれた。全国民が法のもと平等となった。四民制度と呼ばれた身分制度が消えた。

ちょんまげも消えた。散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする。民権節が歌われ子どもたちまでがその歌声で踊りまくっていた。

全ての封建儒教精神は廃止された。文化を変えたのだ。

教育は国民が等しく享受出来る必須の事にされた。国皆教育だ。

経済で見たら米本位制と金銀銅本位制から管理紙幣本位制に変り、世界の市場とつながった。

資本の概念が入ってきた工場がアチコチで動き出し、世界の市場にものが流れだしていった。また入ってきた。貿易が始まった。横浜神戸函館長崎などが発展した。背広が制服となりちょんまげが散切り頭となった。

鹿鳴館で夜会が開かれた。ワルツが踊られ、写真が流行り始め。洋食がやがて生まれた牛肉が食べられすき焼きが横浜から始まった。民権運動が起り日本議会を開設要求が全国で起こっていった。民主主義を要求したのだ。

 

還元すれば西南戦争はキリスト精神の革命派と儒教思想の最後の戦いだった。

 

政府軍は農民中心の軍隊で近代兵器を持って戦った。70000人。

一方刀に固執した旧儒教派つまり300年の太平の特権を享受していた怠け者達で日本の寄生虫と化した浪人兵達35000名。

13600名の死者を出し政府農民兵が勝った!戦争の結果武士たちの拠り所の武士だけが戦争の専門家だというホコリと事実の負けは武士たちの儒教思想と特権を根底から覆してしまった。農民工人商人兵が強かった。武士入らなくなった。儒教も其の存在意味がなくなった。武士階級はいらないことを事実で日本中がそれを知った。それは武士の時代の消滅であり儒教思想の崩壊だった。

コレを持って日本の儒教勢力は日本から一掃され日本の明治維新はキリストの精神革命を行って富国強兵の近代経済を打ち立てに動き始めた。

学問のすゝめは農業封建儒教社会の日本を現代社会にして科学と人権と工業社会を作るキャッチアップ作戦だった。

そのフェアネスの市民意識を作る教科書だった。学問のすゝめの1編から8編までがそのキャッチアップの精神革命を説いているが、9編から17編は中浜万治郎ではない’別人の書いた駄作だ。出版数を見るとそこからあまり売れていない。

明快なインテリジェンスの現代文明キャッチアップ作戦が学問のすゝめの前半分で、後ろ半分は、霧がかかって迷走する頑固なの儒教者の小煩いどうでもいい話しだ。ここが福沢諭吉の担当カ所だった。いつも福沢諭吉の書いた文は霧の中の迷走だった。

日本国民は皆学校で教育を受け識字率も100%になり皆が本を読んだ。新聞を読んだ。

学校制度が日本全国に広がり小学校中学校高校大学が設置されていった。

日本全国で国民が高い教育を受け基督の精神のものとに教育を受けて行った。

近代精神が全国民に広がっていった。儒教は其の教育から消え去っていった。

それに比例して日本中に工場ができていった。日本社会は江戸時代の封建社会から一足飛びで近代国家に変身していった。

この根底にあったのは中浜万次郎の米国社会の深い洞察と日本儒教社会の反省だった。

天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず

米国社会の近代化は基督の精神の土台の上にあると喝破して其の精神を日本に入れその上で科学の教育を行い日本を近代化して米国に追い付けと書いた学問のすすめ

ソレが中浜万治郎が不羈の精神で米国を一人で日本の封建社会と比較をし続けた毎日の9年間の腹の中から出た言葉だった。

儒教の忠義は時代遅れで政府にはそれでは登用されないことになった。民主主義から儒教を見れば犯罪精神だった。

キリストの精神革命の後工業社会を学び労働者が日本中にできていった。誠実な日本農業共同体意識を持った世界でも随一の勤勉で共同行動ができる日本労働者が日本工業を立てていった。

 

四民平等民権法による統治で警察制度の治安維持裁判制度が導入された。

近代化がどんどん進んでいった。身分制度がない社会。挙いくが全土に行き渡った社会。それは全国民が労働者になって労働市場が全国にあるということだった。

自由に企業を起こして自由に人々のためになる商品を作り全国販売して会社を反映させて従業員に高い給与絵を支払い良い生活してもらう資本主義の始まりが日本全国広がっていった。

儒教は資本主義の邪魔者だった儒教犯罪者がいては民主主義は成り立たない。資本主義も成り立たない。全国均一な労働者がいることが工業社会には必要だった。そして全国が自由に犯罪できることが必要だった。地方ごと法や指導が違い。賄賂では工業社会は出来ない。

 

科学の時代に突入していったのだ!それは工業社会の始まりであった。

日本の中は万次郎が見聞し体験してきた米国社会へまっしぐらに走りだしていった。

明治維新とは基督精神により儒教一層の思想転換の革命だったのだ。

西南戦争画素の最後の戦いで樹去勢力を一掃されたのだ。

日本はキリスト精神で工業社会にまっしぐらに突入していったのだ。

キリストの精神革命をした国だけが工業社会を作れた。歴史を見ればソレが結論だ!

工業国家を作りたければ基督の精神を知らずには出来ない。その物事の考え方を知らずには科学も出来ない。科学は基督の言葉から生まれた。



日本は中浜万次郎がそれに気づき、キリストの名を言わずその中身だけを教えて、キリストの洗礼を日本全体に受けさせてしまったのだ。

これは偉大な考えかただ。神は言葉ではなくその言葉を行うとこを求めているからだ。誰の言葉でもいいのだ。神の言葉をやりさせしたら。だから日本人が基督を知らないがフェアネス走ってそれを求めて生きていく。気がついたらキリストの弟子になっていた。日本人は今でもそれを知らない。フェアネスをやり考えがて行動している日本人が多かったのはこの明治維新学問のすすめのおかげだった。

中浜万次郎(=ジョン万次郎)に感謝!(学問のススメは福沢諭吉には書けない。彼は浄土真宗の人だ。基督のことはこれっぽっちも知らない。福翁自伝には其のことの片鱗もない。

神学校に行き聖書を毎日読んだ万次郎だけが基督の言葉を知っていた。境界牧師に欺瞞にも気がついていた。ネイテイブスピーカーになっていた万次郎は英語発想ができる。

学問のすすめは英語発想で文章ができている。

天は人の上に人を作らず人の下にも人を作らずとはじめの文で結論と自分の主張を書いている。

英語が米国人並。Newsも毎日読んでいた。

日本の知識階級はすべて基督の霊の洗礼を受けた基督の弟子になった。そこから日本の工業社会が始まった。340万冊が販売された。

人口3000万人の時代に。分冊で17冊あったらしいから約300万人が読んだ。日本の常識が反転した時代だった。

 

日本の未来

 

でもそれを知って自分で考える力を更につけるべき時代に入った。

QC活動が日本人全部ができる時代になったからだ。

国人=国民(民とは奴隷という意味だから国人に漢字を変えた)全てが博士の時代になり全員が幾つもの仮説を実証して発見発明をして行く時代だ。

一人一人が、自分らしく生き、発明発見をして人々役に立つ。此れがキリストの平安の王国の基礎になる