kushyyoshyのブログ

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不羇(ふき)の人とは誰のことだった?

不羇(ふき)の人とは誰のことだった?

 

不羇の心=自由で何ものにもとらわれない心。

 

それは神の言葉とともに歩く人が、神の言葉を行い。その為にフェアネスだけを考えて行う。

その時に人の過去の習慣や考えにはとらわれない。

神に向かって、正しいことだけを考えて、そのことをしていく姿のことだ。

日本の辞書には神との契約の部分が載っていないから意味が半分しか分からない。

 

その新しい道を切り開くときの心の持ち方を示した言葉だ。

フェアネスがそこに厳然として制約をかけている。

正しいことをする勇気のことだ。



私はそれは中浜万治郎のことだと思う。

誰にも気に留めず自分が思うままに生きていく。己の才能と神に従って生きる。神の教えに導かれて生きる人のことだ。

悪魔がこの世には有り余っている。その悪魔を気にすることなどしていないで、神の言葉に従って生きていく。

此れが不羇の心の人ではないか?そう思う。

 

学問のすゝめで中浜万次郎がいった。日本では、義人は佐倉宗吾郎ただ一人だった。

佐倉宗吾郎は一人で、惣の数千名の人々を助ける為に幕府に直訴をすることを考えて、それを実行した。

そしてその家族全員が貼付けにされて、殺された。

キリストと同じ十字架に掛けられて、やりで刺し殺され、死ぬまで数日間もそこで梁付けのままでい、苦しみもだえて死んだ。

この時の宗吾郎の心の中は、不羇の心で、何者にも恐れない。正しいことをして、全て惣の人々を助けるけることだけを優先して、自分と家族を捨てていた。

本当に大切なことは人を助けることだ。

キリストは知らなかったが、考えた末にそれしかないと思った。

ぎりぎりまで考えてもやらなければいけないことがある。

自分を捨て、自分の家族を捨て、全てを失ってもやらなければならない。

それを選ぶ心が不羇の心だ。

金に目がくらんで言いなりになって、自分自身と日本を売って、ユダやの奴隷になった伊藤博文とは、月とスッポンの違いだ。

人間の屑と神の使いの差だ。

その神の使いになった中浜万次郎の心のあり方が不羇の心だ。

永遠に朝鮮人は人間の屑で助からない!

日本人は不羇の心を探して、自分で考える人となり、フェアネスをしっかり心に持って自分で正義を判断していく。

それを手に入れて神の国を作る人とになり、生きていく。

それが日本人の未来のアイデンテイテイだ。

つまり、それが、不羇の心だ。

日本の未来を作る人の心だ。

 

中浜万次郎は、その不羇の心で考えて生きた人だ。

高知の中浜村の漁師の子だった万次郎。彼とその仲間は漂流して米国捕鯨船に助けられて。その米国船が何故日本まで航海出来て来れたのか?

その海図と羅針盤と星座の観測技術が、世界中何処にいっても自分の位置を知ることが出来る米国の科学を見た。

又、その捕鯨船黒潮に逆行していく程の強い力を持っていた。蒸気船の動力で動いたことにも目を見張った。

自分たちに漁船は山見の方法で陸の近くを漂い、その周りの山の形を記憶していて、今どの当たりに居るかを知る方法だった。山が見えなくなれば何処に居るか分からなくなりたちまち漂流する。

日本の船は帆を張り風まかせで移動するが、風がなくなれは近くの港に行き、風が吹くまで風待ちと言って、過ごすことになる。黒潮に乗って北上することが出来るが、その流れに逆らって下ることは出来ない。

米国捕鯨船は万治郎に科学の世界をその目に焼き付ける大事件だった。

自分たちが漂流の現実はその米国科学があれば,何ともない出来事になってしまうことが一番感心したことだった。

万次郎は米国捕鯨船に日本の未来を感じていた。

日本の遅れた山見法と風任せの航海術で、この科学の船と競争は出来ないことは明らかだった。

もし此れが捕鯨船ではなく軍艦だったら。日本は叩きのめされて破壊されてお仕舞いになるのは明らかだッた。

科学とはその名さえ知らなかったが、万次郎はその科学の力が時代の新しいやり方を示していることだけは分かった。

時代の息吹を感じていた。

その感じる心が不羇の心だ。自分で何がいいのか?何が正しいのか?

神とは難だろうか?やがて万次郎は幼稚園に通い、英語が話せるようになり、小学校の通学して読み書きを覚えた。

そしれ新約聖書を毎晩読み、日曜には教会に行った。

何が正しいことか?やがて大きな悩みが彼を襲っていった。

それが教会で聞く話しと福音書にあるキリストの言葉が全く違っていたからだ。

そしてキリストが正しいと彼は考えた。すると教会の牧師入っていることがおかしな話しばかりだと気がついた教会には行かなくなっていった。

そしてこんな筈はないと思って、キリストの牧師になる為の学校の神学校に入って卒業したが、やはり神学校もおかしかったから、牧師になることは辞めて、新約聖書福音書のキリストの言葉を何度も何度も読み返して考えた。

自分で航海士の学校に入って、科学の航海術と蒸気の動力で動く蒸気機関の学問をすることにした。その術を覚えて日本に帰って、其の新しい科学の使い方を日本人の人々に教えて上げることが彼の夢になった。

でも万次郎の心には日本と米国社会の差がいつも気になっていた。

この差は一体何から来ているのか。

日本は米国にはなれないのか?

国人差別は日本人差別でもあったし、黄色さると呼ばれても只笑っていた。

白人と黄色人種と国人は何が違うのか?毎日それを考えた。嫌でも通りを歩けば、罵声が相日飛んでくるから考えないわけにはいかなかった。

日本と米国がキリストを左派んで中浜万次郎の遅いか掻っッテ言った。このたった独りで、日本の国家と米国国家の重みを、其の小さな体で毎日必死に支えて、そして一体何をどうしたらいいのかを考え抜いていった。

其の答えはキリストの言葉にあった。

入りスとの言葉で整理して考えると分からないことが分かるようになっって言った。串ておきな問題をキリストの導かれて万次郎は自分とは何かを知り日本h何は当たり内かを見いだしていった米国は何が足りないかも分かった世界は何が足りないかも分かっていった。それを不羇の心と呼んでいた。

すすむベキ道を神の言葉に従い自分で考えて結論を出す。

仲間がどう言おうと関係はない。

キリストの言葉が、正しいことは正しい。その心がいっていることに従い。正しい道を行く。独りになろうともその道を行く。

 

万治郎はたった一人になって米国船長の養子になり、米国に科学を自分の者にすることを選んだ。

日本の遅れた文化を、それでやり直すためになるとは思いつかなかったが。

でもいいことはいいと思った。そしてそれを知ることが出来るチャンスに自分をかけた。

船長から米国で教育を受けてみないかと聞かれときに考えてみますと言った,

そして出した答えは、自分が米国で科学を学び日本にそれを教える。そして日本が米国や西洋に負けない国になる。その為に自分はそれをしなければいけないと思った。

ここで既に万次郎は自分を捨てていた。

自分がどうなるかは考えなかった。

漂流して米国船に救助されその科学の船に乗って、その科学の力を見たときから万次郎は科学に見せられていた。

それは万治郎の感性がフェアネスの心を持っていたことで科学の力を正しく受け止められ、その力を正しく把握出来たからだった。

日本で育った農業者や漁業者職人達は儒教を知らないから自然に対して畏敬の心を持って生きることでフェアネスの心に近い価値判断が出来た。

日本人のアイデンテイテイは、里山の農業共同体文化だ。

其の心にはモーセ十戒が含まれているから、日本人なら誰でも十戒を読んでも違和感はない。

つまり科学を素晴らしい方法だと理解出来た。自然を管理してそれを利用する方法だった。

科学は前にも言ったがキリストの言葉から生まれている。

それは「いい実がなる木を知るには、いい実がなることを知ればいい。悪い実がなる木には、悪い木出と言うことだ。」

そう基督は言っている2000年前にだ。

結果を見れば、其の結果の出るプロセスがいいか悪いか分かると言ったのだ。此れが科学の本質だった。

発明発見は、全てこのことから導きだされた物だった。科学はキリストが教えてくれた自然の見方であり其の利用方法だった。

そして日常の世界が事実や結果で判断して、そのプロセスが同じなら結果も同じになると知っていた。だから科学を正確に理解出来たのだ。日常が科学で動いていた。

問題は武士達の世界だ。

彼らは賄賂と儒教頭で非科学だった。文化の進歩を破壊していたのは儒教だった。

5%程の武士達が儒教頭で維持維新を理解出来なかった。

儒教と賄賂は切っても切れない関係にアル。

儒教をやっていたら必ず賄賂が横行している,そこで生きるのは賄賂を払うことが最も早い出世方法だ。

賄賂を払わないと官僚からいじめられて、生きていけないことになる。それが儒教社会だ。中国共産党儒教だ。韓国社会も儒教だ。

どちらも賄賂社会で非科学社会だ。

工業国に永久になることはない。

 

中浜万次郎不羇の心で古い日本を改造して、工業国家の日本社会を作ることを決断してそれを実行した人だった。

日本人は科学と出会いキリストと出会った一瞬だった。

世界中のキリスト教ユダヤ教で悪魔教だった。日本が戦国時代に更に徳川時代でも、それを禁教にしたことは慧眼だった。

キリストは何度も言っているが新約聖書福音書の中だけにいる。

それをよく読んで考え抜く時にだけ、キリストはその人に現れてくれる。

そして本物のキリストが、科学を作る根底の考え方を人類に示してくれていた。

不覊の心こそが科学の発明発見を支える土台だった。

中浜万次郎はそれを見切っていた。

此れは現代日本の良心となり、科学を支えるフェアネスの社会を作っていた。

日本は中浜万次郎が作った社会で政治機構だった。

 

日本人はそれを感謝して、中浜万次郎の後を追いかけて、更なるキリストの世界を作ることを心がけるべきだ。

 

キリストとその弟子の中浜万次郎が日本の現代社会の恩人だ。

 

誰が恩人かも知らない。間抜け朝鮮人ヤ中国人と同じか?日本人?