kushyyoshyのブログ

G+で私の書いた者を公開して来たがそれが中止になると言うので?のブログに切り替える事にして今移転している。

中浜万次郎は世界革命をやり始めていた!

中浜万次郎は世界革命をやり始めていた!



其の始まりは明治維新だった。日本革命だったのだ。

 

この時日本は現代社会に日本を革命で作り直していたのだ。

 

封建社会から、一足飛びで工業社会を作る革命をした。

 

それは歴史を見れば、世界中の国々が封建社会から工業立国をする事、それに挑戦した。

 

しかし,世界中の何処の国も日本以外は全く実現が出来ないでいる事だ。

 

日本だけが封建社会から一足飛びで現代社会を作り科学立国をして、科学教育制度を全国に

 

広め、科学教育を普及させていた。

 

工業国になる為の下準備が明治維新から作られ、見事工業国を実現した事だった。

 

其の成功の原因は、中浜万次郎が日本社会を米国社会と比較して、其の差を埋める為に工夫

 

を数々成し遂げてくれた事になる物だった。

 

そして其の比較をすることが、キリストの精神を身につけて日本革命を行った事が成功に秘

 

訣だった。

 

キリストの精神こそ西洋社会の根底にある精神だったからだ。

 

科学がキリストの言葉から生まれたものだった。

 

西洋社会の正義もキリストが定義した言葉で出来ている。

 

其のキリストのフェアネスの精神を知っている中浜万治郎がいなければ、日本は今のような

 

工業国にはなれなかったろう。中浜万次郎があの時日本にいてくれた事が日本の幸せになっ

 

た。

 

勝海舟中浜万次郎を知り、其の西洋社会を知り、米国で見て来た事実(9年間米国にいて

 

教育を受けてネイテイブの英語を喋るようになっていた。英語で物を考える日本人になって

 

いた。英語発想法が英語を喋るには必要だが中浜万次郎の日本語は英語発想法で綴られてい

 

た。

勝海舟の氷川清話を読んで何時も思っていた?

 

何故この徳川幕府を潰した男が、明治政府の改革の目標をはっきりと一言も言わないのか。

 

物を破壊すると言う事は、その新しいビジョンがあるからこそ出来る事だからだ。

 

氷川清話にはその事が何度読んでも載っていなかった。

 

それは中浜万次郎勝海舟の未来の社会を見た日本人で知能指数が高い中浜万次郎いたからだ。

中浜万治郎がソッレを設計して、その政治を具体化して政治をやらせる事にしていたから

 

だった。

 

だから勝海舟は自分のビジョンは一切、氷川清話には書けなかった。



天は人の上に人作らず人の下に人を作らず!

 

此れは中浜万治郎の心の中からの叫び声であり結論だった。

 

学問のススメは、其の始まりの文章が結論だった。結論から話し恥じ得るのが英語流だった

 

からだ。

 

中浜万次郎はその頃は英語で物を考えるようになっていた。

 

その英語発想がそれをさせていた。

 

アジアの植民地解放もこの視点から当然予測されていた事だった。

 

天とはキリストの事だった。

 

中浜万次郎は米国で9年間学んだが、やはり米国でも差別を受けていたアジア人だった。

 

元々高知の漁民だったから、差別は日本で経験していた。

 

だから自分を、その差別される者として何時も冷静にみていた。子供ながら親から教えられ

 

た通り、一歩、人よりも後ろを歩く事が出来る人になっていた。だから米国での差別もそん

 

なには不服ではなかった。が新約聖書を読み、キリストの教えを知る事で目覚めていった。

 

リンカーン奴隷解放は目が覚める思いをした。

 

学問のすゝめが出版された年は、まだ日本はキリスト教が禁教だったから、公然とキリスト

 

とは言えずに天と言ったのだ。

 

その年にもキリストを信じた隠れキリシタンとして、踏み絵を踏めなかった日本人が磔の刑

 

で殺されていた。

 

明治になってもまだキリシタン禁教が続いていた日本。

 

其の中、キリストとは言えない時代に、キリストの精神を日本人に植え付ける事が必要だ

 

と、判断した中浜万次郎は、学問のすゝめを福沢諭吉の名で出している。

 

福沢諭吉勝海舟が私的に雇った中浜万次郎の影武者だった人だ。

 

その学問のすゝめが草原の火のように人々の心をしっかりとつかみ込み、民主化の火が燎原

 

の炎となって、日本中から、アジア中に火をつけていった。

 

其の中で、よく年には、明治政府もキリスト教の解禁をする事に決めた。

 

学問のすゝめの発表の翌年にはキリスト教は解禁されている。

 

自分が明治政府を設計して政治をやっていたからで来た事だ。

 

中浜万次郎は、航海士の学校を出ていたから、星座や太陽を観測して海図に自分の位置を書

 

き込み、船の位置を書き航海の予測を書き込んでいる。

 

科学の力を知っていた。日本人で当時科学を知りそれを使って航海が出来る日本人は、中浜

 

万次郎しかいなかった。咸臨丸を動かしていたのは中浜万次郎がいたから出来た事だ。

 

又科学を理解する力も持っていた。

 

国際法は航海士が知っていなければならない世界の海の法律だ。

 

法律にも通じていなければ航海士は出来ない。

 

又政治状況にも詳しくなければ、自分の船が没収されてしまう事になる。政治や歴史にも通

 

じている事が優秀な航海士には求められる事だ。

 

又蒸気船の構造と難船したときのしたとき修理法を知っていたから、日本人としては最先端

 

の科学を運用して航海する技術を持っていたたった一人の日本人だった。

 

日本近海で難船した西洋の船が、其の航海士や船長と船員達で日本国内で一から西洋の船を

 

自分たちで造り直して、帰国している例が日本中である。私は何艘かそれを見た。伊豆諸島

 

伊豆半島でよくそれらが歴史として語り継がれている。

 

航海士であれば自分の乗っていた船を作り直せる力を持っている事になる。

 

つまり蒸気機関の再構築する事が出来、運用していた。更に鉄鋼船の構造もよく知って作り

 

だす事が出来る程精通している。蒸気船のエンジニアだった。

 

その科学の力が米国の黒船の正体だと知り、中浜万治郎に明治維新後の設計図を書かせて、

 

その政治を任せた事が今の日本を作っていたのだ。

 

日本人は中浜万治郎にもっと感謝をして、其の精神を自分の身につけて、世界の為に生きて

 

いく事が大事だ。

 

中浜万次郎は日本の革命=明治維新の為に暗殺されていた。

 

勝海舟と同時期に毒物で殺されている。

 

中浜万次郎の影武者の福沢諭吉も同時期に,同じく脳梗塞で半身不随にされている。其の翼

 

翌々年に同じ毒物で脳梗塞で殺された。多分邸内の中の裏切り者が同居していた筈だ。



日本が現代社会になり、工業国になれたのは、中浜万次郎が米国から、海外にいた者は皆死

 

刑になる時代に、殺ろされる事を覚悟して,なお日本に西洋社会の科学力と日本の\職人の

 

手作業の社会ではその能力差が大きすぎて、戦いにならない事を知らせ、その差を埋める為

 

に何をしたら良いかを教えに帰って来た日本人が居てくれた事に感謝をするべきだ。

 

日本に帰国して全身全霊を挙げて、日本の現代社会化に力を掛けて、科学立国を築いてくれ

 

たお陰だったのだ。

 

海外に出た日本人がキリシタンになっていなくても日本国に入る事は死刑になると言う決ま

 

りになっていた。

 

シンガポールにはその中浜万次郎以外でも漁師で漂流して外国船に助けられてシンガポール

 

のたどり着き、日本を帰りたいが日本に入れば捕まって死刑にされる事を恐れて、そこで暮

 

らして、なくなっていく漂流民の日本人ががなりいた。

 

中浜万次郎はその事も知っていたから死を覚悟して日本に上陸をした。

 

それでも科学文明と日本の封建時代で儒教魂ではその機械化の差が大きくて、西洋社会の

 

国々と戦争にならない事を知らせて、その日本の科学社会と工業社会への再生をしなければ

 

ならない。

 

現代文明の大きな進歩の差がある事を訴えに帰って来ていた。

 

命をかけた日本の再生の提案だった。

 

その日本への誠実な心をもって合う人ごとに彼は訴えかけ続けていった。

 

もしこの時その心の叫び声が全く通じなければ、中浜万次郎は浜辺の砂として消え、日本は

 

植民地になっていただろう。日本人も中国人と変わらない奴隷として数百年を過ごす事に

 

なっていただろう。

 

中浜万次郎が日本にとってどれほど重要な事を教えてくれたのかは、そのことを考えればよ

 

く分かるだろう。

 

日本現代社会の基礎を作ってくれたのは、中浜万次郎と言う日本社会では下人と呼ばれる奴

 

隷階層の漁師の子供であった。

 

侍には出来ない事だった。

 

正直者で働き者で、物を考える人に科学が開花していた。

 

儒教をやると脳が麻痺して科学を破壊してしまう、折衷案しか思いつかないばかになる。

 

それを通過しないだけ、奴隷の方がまともだったと言う事だ。



この中浜万次郎の命がけの日本帰国もキリストの精神で神の言葉だった。



それは人の為に生きる事で行われていた。

 

日本は其の恩人を全く顧みていない。恩知らずの怠け者だ!

 

福沢諭吉ではなく、その本者が中浜万次郎だと言う事だ。

 

福沢諭吉勝海舟が雇った中浜万次郎の影武者の名前だ。

 

福沢諭吉勝海舟の私的な手下だった。私設ガードマンだ。

 

だから勝海舟の船に、一介の書生でも咸臨丸の乗船して、米国まで行き。

 

其の船団の代表の木村摂津の守の個人の金二千両を勝手に使い込んで、英語の本を買い込ん

 

で自分の家にもって帰って、永久にそれを返さなかった。



其の貴重な英語の本が、慶応大学の図書になった。英語の辞書で一番高くて大きなものをっ

 

た。それがウエッブスターの大辞書だった。

 

勝海舟福沢諭吉の後ろにいなければ切り捨てごめんだ。犬の餌だ。

 

福沢諭吉は三田の元大名の屋敷跡に、慶応義塾の土地を勝海舟にねだり手に入れた事は本に

 

出ている。

 

慶応義塾が財政に困ると勝に無心に行っている。

 

何故一介の市井の書生崩れの福沢諭吉勝海舟に出来るか。

 

勝海舟の敵だった福沢諭吉は、勝海舟からコンなに援助が

 

もらえる身分なのか?

 

諭吉は、新聞で勝海舟を批判していた。其の批判とは二君にまみえず。と勝海舟を批判した

 

のは福沢諭吉だった。

 

でも儒教時代ならそれも賞賛ものかもしれないが?

 

自由主義の時代に二君にまみえずとは時代感覚が外れている気がする。

 

二君にまみえずと儒教の常識を明治時代に押し通した変わり者が福沢諭吉だ。

 

只の浪人者だ。科学をまだ知らない行動だ。フェアネスも知らない。

 

福沢諭吉勝海舟に無心する事が出来る理由は、それは明治でも勝海舟が政府を完全にコン

 

トロールしていて、中浜万次郎が其の下で日本を動かし,日本の明治政府の科学立国の設計

 

図を書き政治を行っていたからだ。

 

其の日本の貴重な科学社会を作る参謀を守る為の出費としては安い物だから、勝海舟もいい

 

だろうと言ってその都度、福沢諭吉の無心の金を出していたと言う事だった。

 

影武者に相応しい金を払ってやった。

 

慶応の名前は中浜万次郎がつけた名だった。

 

中浜万治郎は大学を作って、そこからフェアネスの精神を発信しようとしていた気がする。

 

福沢諭吉は少年時代から儒教と剣道の毎日だった。十数年間も毎日儒教を学び、剣道を学ん

 

でいる。

 

儒教の能力は、故郷の中津では飛び抜けていた。只の儒教家ではかなわない非凡な物になっ

 

ていた。剣道の腕も免許皆伝だ。勝海舟はその剣の腕を見込んで用心棒替わりに中浜万治郎

 

の影武者に雇っていた。

 

儒教は義理の弟の佐久間象山でこりごりしていた。其の弟子が吉田松蔭だった。

 

(私の母校東洋大学では吉田松陰を神社として祭っている。唯一の大学だ。この東洋大学

 

勝海舟が作らせた大学だった。東洋精神を学べるかと思って入学したがそれはなかった。今

 

はその代わりにキリストの精神がそれだと分かった。

 

キリストの福音神社でも作って、その精神を教えてやったら後輩も良いのではないかと思

 

う。中浜万次郎こそ日本の現代精神を作った人だった。

 

中浜神社でも良いからそん組成信を讃える意味でそれをもつ方が良いと思うが。

 

私はキリストの弟子になった。中浜万次郎は私に先輩に当たる事になる。

 

東洋大で見つけられなかった東洋の精神は、中浜万次郎の精神としてキリストの精神で私の

 

中でよみがえった。)

 

勝海舟も此れからは、キリストの時代だと思っていただろう。だから学問のススメを読み、

 

それに答える意味でキリスト教を解禁して、宣教師を日本に呼んで其の偽物ぶりをハッキリ

 

と確認した。

 

勝海舟は自分の屋敷内で米国の宣教師とその家族を住まわせて其の行動を観察していた。

 

キリストの教えをやっているかどうか?キリストの言葉を知らない牧師や宣教師ではすぐに

 

其の正体がバレてしまっていた。



中浜万次郎はネイテイブの英語会話と読み書きとその上の生きた情報をもっていた。

 

其の頃の日本では、唯一の科学知識を持ったフェアネスを知っている現代人が中浜万次郎

 

科学的に現実を見て、其の科学知識で判断が出来、日本の行動を決める事が出来る力を持っ

 

ていた。其の頃の日本人は儒教頭で結論から喋ると斬り殺させれる日本社会だった。

 

人きり半平と恐れられた田中異蔵と言う人がいた。

 

それが言ってる俺は頭が悪いから何が正しい事は分からない!

 

だから勝海舟に反対する奴を片っ端から斬り殺していくだけだ。

 

勝海舟サンが俺の頭だ。

 

そう言ってぽろぽろと涙を流した。

 

考える力がない事が悔しいかったのだ。

 

人は考えて結論が出せる事が生きる事だった。

 

考える力がなく人の意見で右往左往していては自分がない事になる。

 

それを田中異蔵は悔しがっていたのだ。此れが日本人の江戸時代の事だった。

 

儒教頭は考える力がないのだ。福沢諭吉儒教頭だった。



明治維新は科学の時代の夜明けだった。

 

そして個人の自由と平等と正義のチャンスの時代だった。

 

更にキリストから教えられた欧米の科学の根本の思想フェアネスの精神とそれから派生した

 

考え方。科学に対する造詣が当時の日本では。彼一人、唯一の貴重な日本現代社会創造のス

 

テップボードだったのだ。

 

其の大事な宝を守る為に影武者として福沢諭吉が選ばれて、咸臨丸に載って米国に訪問し

 

た。

 

2ヶ月間滞在し、米国を知っている日本人に仕立て上げられた。

 

実は中浜万治郎が、後に日本を現代化するための本を出して、日本人を啓蒙すると言う仕掛

 

けだったのだ。学問のすゝめと言うなの本の著者が福沢諭吉で中身は中浜万次郎が書いた。

 

中浜万治郎はそれで其の名前は日本中に知られていなかった。

 

学問のすゝめではなく。本当は、科学の勧めが日本には正しい名前だったと言う気がする。

 

本の中に着に食わない事が出ていても、かげ武者の名前しか本に書かれていなければ、本当

 

の著者は誰か分からず殺せない。名前を知らなければ其の著者の暗殺は出来ない。

 

此れが勝海舟が其の当時に日本の兵法家であった人から聞いた最高の秘密だった。

 

勝海舟は其の愛弟子だった。

 

中浜万次郎の名は、ジョン万次郎と言う井伏鱒二が書いた江戸時代の紀行小説の主人公とし

 

てだけ知られていた。漂流して米国に行った事だけ知られている。

 

学問のすゝめで、中浜万次郎の名前は伏せて、福沢諭吉の名前で出版して、日本人の精神

 

を世界標準に作り直したのだ。

 

其の衝撃は全アジア中に轟いた。儒教頭の人々に新鮮なキリストの精神の風が舞い込んで来

 

た。それは科学の臭いがしたからだ。そして科学の力こそ、黒船の正体だと気がついた人々

 

もいた。

 

何事も文明が変わると言う事は、その精神の差が基本にあると言う事になる。

 

それを書いていたのが学問のすゝめだった。

 

英語発想法で発想した文章と、キリストの比喩を説いた、其の明快な頭脳の文章が、アジア

 

人の封建社会の惰眠を覚ましていったのだ。

 

日本人社会の改革で書いた学問のすゝめは、同じ儒教社会だったアジアの眠りを揺り動かし

 

ていった。

 

封建社会から科学社会に目覚めさせていったのだ。

 

そして其の改革のプロセスが科学教育制度とその実行だった。

 

更に中浜万次郎は日本語を科学が説明出来るように大きく改革をした。

 

科学用語を一万語もつくりだし、日本語加えていた。教育が科学を日本語で説明出来るよう

 

になっていた。

 

新聞もそれで日本語で科学的に其の解説が出来るようになっていった。

 

中浜万次郎の日本語の改造で、日本語はアジアで唯一の科学を日本語で知る事が出来る言葉

 

に変身したのだ。

 

自国語で科学狩り貝瀬切るのは科学を維持家にして工業国にする為には避けて通れない道の

 

一つだった。たった一人で中浜万治郎はそれをやり遂げてくれた。何の不平も言わずに黙々

 

と人の為に生きていた。

 

独りで西洋社会の現代社会の重圧と、遅れた社会の日本の封建社会の孤独と耐えていた。

 

全責任を独りでショっていた。

 

つまり黒船で日本封建社会は、いっぺんに其の軍事力の格差に気がつかされた。

 

封建社会の惰眠をむさぼっていた日本人のただ驚愕と、其の力の圧倒的さだけを恐れる無知

 

の恐怖が、日本中を襲い。無気力社会になっていた日本社会!

 

学問のすすめは、その驚愕の本質を段階的に解き明かし、科学が其の力の根源にあると言う

 

事をハッキリと書き、実感させた。日本の改革の方法と方向を示してくれていたのだ。

 

そして其の科学と工業国になる方法を明示してくれていたのだ。

 

それを海綿が水を吸収するように、日本人とアジアの教養ある者たち=字が読める者達が、

 

干天の慈雨として吸収していった。

 

学問のすゝめは、300万部を超える大ベストセラーになった。

 

当時の日本の人口は米国と同じ3000万人だった。

 

約1割強の日本人が学問のすゝめを読んでいたと言うことになる。

 

日本の識字率は当時の世界では群を向く知識水準だったのだ

 

科学と工業社会を作る事で軍事力は補え、それを超えられると言う。封建社会から現代社

 

へ日本を変える事で、科学が社会を支配して工業国家になると言う、プロセス革命を明示し

 

てくれていたのであった。

 

工業国家の軍事力と封建社会の軍事力の差は、ただの封建社会では、恐怖だけしか起こらな

 

い無知の暴挙で、英国との戦争を仕掛けてあっと言う間に、数隻の軍艦で薩摩藩が全鹿児島

 

市がが焼き払われた経験をして、自分の力の限界を知り降参した。

 

その何故負けたのか?力の差の根源がハッキリと誰の目にも明らかとなって現れていた。

 

学問のすゝめはその差を埋める仕掛け=プロセスを明らかにしてくれていたのだった。

 

儒教社会では完全に西洋社会に遅れてしまっていた。

 

科学がなければ、現代社会はやってこない。

 

工業社会は出来ない。

 

工業がなければ機械は作れないし、科学もない。

 

計測が出来なければ、其の能力を正確に測定も出来ない。

 

アジアの迷走は欧米諸国が工業力社会になっていた事の差であった。

 

其の工業国の作り方を明示していたのが学問のすゝめだった。

 

1編〜9編までは中浜万治郎が書いたもので、後10編〜18編の世迷いごとの文章が儒教

 

頭の福沢諭吉の書いたものだ。

 

比較して読んでみたらいい。

 

頭の構造は儒教頭では、科学は無理だと直ぐに分かる。

 

江戸時代のエリートとは福沢諭吉の頭だったのだ。

 

社会構造の差だけではなく、科学無知と科学頭の差が、アジアと西洋との具体的な差の内容

だった。



でも中浜万次郎は日本だけの事を考えていた訳ではない。

 

先ず日本の解放が始まりで世界を変える事が中浜万次郎の目的だった。

 

何故植民地が作られたのか?

 

それは誰がやらせていたのか?

 

戦争がよく起こっている。それは誰がやらせて誰が儲けているのか?

 

ユダヤが其の中心にいた。悪魔のやっている事は全てユダヤがやっている事だと気がつい

 

ていた。

 

そうして世界中を見渡すとユダヤが世界中を支配して、世界中を困らせ苦しめている事が分

 

かった。

 

其の解放が中浜万次郎の戦いの目的となっていった。

 

其の次が大東亞戦争でアジア植民地の解放だった。

 

もし途中で暗殺されていなければアフリカ、更に南アメリカ

 

そして米国。ヨーロッパの解放をする事になっていた。

 

何からの解放か?

 

ユダヤ寄生虫金融制度が世界を今でも縛り付けて、人々を苦しめている。

 

其のユダヤ寄生虫からの解放の戦いだ。

 

キリストの弟子の中浜万次郎は、当然キリストの言うキリストが王様の平安の王国を作る戦

 

いをしていたのだ。

 

全人類を救う戦いを始めていた。其の始めの一歩が明治維新だった。

 

日本革命から世界革命への道を歩いていたのだ。

 

中浜万次郎はキリストの弟子だ。

 

キリストが言った事を実現する事がその弟子のつとめだ。