儒教頭になると考える事がおかしくなる理由
儒教頭になると考える事がおかしくなる理由
それは陰陽と言う考え方に原因がある。
陰陽とは、白と黒が、丸の中で渦巻き状になっている。太鼓の皮などに書いてあるあの図だ。
儒教が言う。
この世にはしろと黒が常にある.白とは正義の事で黒とは犯罪の事だ。
でお城をよく見ると黒が必ず入ってる。
白をよく見ると黒が入っている。この世に黒の入っていない白はない。
黒にも白が必ず入っている。この世には絶対の黒は存在酢ないならず白も入っていると。
何故このようなことを言うのか?
それは儒教は正義と言う定義がないからだ。
儒教の正しい事は、絶対権力にこびる事が正義だと言っている。
キリストが言う.普遍的正義とは異質の世界.絶対権力者会=封建社会=殿様社会や騎士のいる王制社会などに都合がいい考え方だ。
力が正義だ!此れが儒教の根本だ。
キリストの正義とは相容れない.
キリストの正義とは、権力者でも人を大事にしなければ行けない.
人権とは人々が皆平等な社会こそが正義だと言っている。
特権はない社会がキリストの理想社会だ。
この人権の正義がある国が、現代文明国になる。
儒教の国は今でも存在押するならば、それは数百年遅れた暗黒社会だと言うとこだ。
中国と韓国はその遅れた社会になっているそれは民主主義の社会から見たら暗黒社会になるし、極悪犯罪社会だと言う事になる。
そしてこの儒教頭は、中庸と言う事が良い事だと教えている。
中庸とは、白もあり黒も入っている。つまり人は悪魔であり正義である。その案配が大事だと。絶対の正義がないから、何時も人の顔色を見てその中間を取ると良いと言っている。
それを中庸の考えと言って推奨しているから、何時も考える事が違うその場の雰囲気で言う事が変わる。
正義を知らない暗黒の頭になっている。
その儒教で、心が犯罪者になっている証拠だ。
中庸の社会とは、人は全員がその社会では、犯罪者になる社会だと言う事だ。
中庸を言うものは、現代社会の人ではないから、人権の現代社会では、社会から、排除する事が必要だ。
儒教頭は、民主主義文明には住めない。
住ませると犯罪者になるから、社会から排除する事が必要だ
中庸とは日本語では、折衷案と言っている。
日本では、犯罪者が、犯罪をする時に仲間と利益を分ける時に此れをよく使って、利益はその頭数で割ってと言う,能力主義やその効能でない分け方をする。
日本の談合をする時にはこの折衷案が何時も幅を利かしている。
やくざでもよく使え荒れる分配方法だ。
つまり朝鮮人が日本社会の上層部に天皇が朝鮮人でその意向であらゆる日本社会の上層部に寄生して、出たら目をやっている。
日本社会に寄生していて,頭が悪いから何時も折衷方式でしか判断出来ない朝鮮人の儒教頭で、日本社会を暗黒にしていると言う事だ。
最近その折衷案で、何でもいいから一緒にやれば良いとか言っているおかしな奴がいる。要注意だ!
それは,犯罪者でも一緒にやるなら仲間だと言っている.犯罪集団を作っている。その中にいれば犯罪をすると言う事になるからだ。
此れは儒教頭だ。排除する事は、正しい行動だ。