kushyyoshyのブログ

G+で私の書いた者を公開して来たがそれが中止になると言うので?のブログに切り替える事にして今移転している。

国が変わるためには個人が変わらなくてはいけない。心の革命が先だ。

国が変わるためには個人が変わらなくてはいけない。心の革命が先だ。



日本人は精神革命をやっていなかった。人権が人類の共通の生きるための基本だということがわかっていない。フェアネスを体に滲み込ませて考える。其処から全ては始まることを知らない。自己中は人権ではない。自己中を否定することから人権は始まる。国会議員がフェアネスがわからない首相がフェアではない?外務書は賄賂外交しか出来ない。フェアネスの話になると何も言えない。フェアネスを知らない外交官とは低開発国非文明国だ。一人前ではない。フェアネスの文明がないからわからない。文明とは人権のことだ。

 

 日本人は、変わらなくてないけない。つまり、欧米人と比べると考える力が弱い。

空気読み教育で考えないで隣の顔色を見てそれに同調する。だから顔色を見るためにおとなしい。自分の意見はない。自己中で空気読みだから。交渉になると断れない押しに弱い。自分の考えがないので相手の意見の正当性があるかどうかを考える力がない。会議では常に黙って笑っている。笑っているのはとりあえず敵意はありませんと降伏しているサインだ。その会議が正しいかどうかではなく自分の利益になるやつはどいつで利用できるやつだ。あいつは騙しやすいやつはこいつと打算しか考えていない。打算はフェアネスではない。犯罪者だ、マッカーサーはこんなくずの人間行動ばかりを見て日本人は12歳の子供だといった。自己中でフェアネスを考えず。全体の足ばかりを引っ張る日本人に呆れた。政治家の吉田は國民を売って二重講和条約を結んで多いばりだ。大馬鹿が自己中で利権を作り日本を地獄に突き落とした。表面だけは対等で裏では植民地でいいと基地を許し制空権も手放した。米国軍は租界として基地を作った。日本人は出入りに許可証が必要で米兵は素通りだ。沖縄で強姦し放題で基地に逃げると日本は手も足も出せない吉田茂のせいで未だに日本は米国の植民ただ。クズが政治を私腹のためだけに使い日本の復興を邪魔した。その姿をマッカーサ−は12歳の子供といった。

欧米人と比べると考える力が弱い。フェアネスを持っていないから平気で國民を売り自分のためだけに動く。フェアネスは正義だ。馬鹿が作った方はフェアネスで考えておかしければ潰す。革命はフェアンスに支えられてやる。だから正義の戦いになる。犯罪者を國民がフェアネスで裁いたのだ。其のフェアネスを知らない日本人は革命が出来ない。フェアネスで正義を考える。その力がない。考えるとは人権を作り守るということだ。すべての思考はそこから始まる。

民主主義はフェアネスを実現するための仕組みとして考えられたが間違ってしまうことも多いだからそれを見はり考える人が必要になる。それが国会議員だが。アホーばかりが今日本の国会に居る。フェアネスがわかららない。こんな奴は国会にいる資格が無いのだ。

フェアネスを知らないメデイア他に何を言うのだ?

犯罪が正義だと言って犯罪を法律にする犯罪国が日本だ。

やり直すしかないだろう。フェアネスを國民が知って理解してそれを常識にする。米国の政府と企業はユダヤにやられているが米国の社会にはフェアネスを知る人が生活している。企業がある。そんな国にする。扉は開いている社会がいい。

 

日本はすべての扉は閉められている。どこに声をかけてもその責任者はいない。知らない。アポは取ったのか?腐った社会だった。米国でいくつかの会社と団体に訪れた。直ぐにそのテーマを判断できる人が出てきた話した。そしてそこは考えていなかったからもしやるならお前がやればいい。全ては任せるといった。話が早い。日本ではテーマを判断できる人間がいない。探して探してようやく出てきても上役に相談してから決めるという。待っていると返事が来ない。これが日本の普通の会社と政府のやっている國民殺しの対応だ。扉が閉まっている社会。



①米国社会は信用を見る社会で信用出来る人には扉がいつも開いていた。

 

ロスのある図書館で浮世絵があるから見たければ受付に申し出ろと書いてあったので見てみたいと申し出た。

上に行けと言われていくと明日来いという。明日行くとあさって来いというしかたがないので明後日又行く。(多分人柄を見るために何度も指示をしたようだ。約束をいつも守っていったから許可が出たようだ。)

すると下のエレベーターホールに行けという。行くと待っていたら中年の男が出てきた。来いというから行き、一緒にエレベーターに乗った。4Fか5Fで降りるとそこは秘密の骨董品の展示室になっていた。小さな美術館だった。

その中央の大テーブルに浮世絵が無造作に重ねておいてあった。約350枚くらい。なにか知っているものはあるかと見ていると皆知らないものばかりだった。出来が相当悪いものが入っているが。いいものも十数枚あった。数千万円は確実に売れるかもと思った。国芳の日本で見たことがないものがあった。価値のある物はその十数枚だろう。でもたった一人で350枚の浮世絵を一時間も独り占めにさせてもらい自由に触らせてくれた。その寛容さにびっくりした。無論一緒に来た男の人はエレベータに近くの隅からわたしを見ていた。当然だ。

気がついて、部屋の周りを見ると数々の美術品が並び重ねて置かれている倉庫状態になっていた。浮世絵だけでも日本に持って帰れば,それぞれが一つの美術館にしていいものだが、そこにあるものはそれ以上に価値の高い絵画や本骨董品多数があった。底知れぬお宝が眠っている図書館だった。

その不思議なお宝の中のほんの一部である浮世絵を見せてもらえた。

ただ図書館の掲示板で知った浮世絵があるという情報をたどってゆくとそんな別の世界がわたしの前に現れた。

これも扉が開いている社会の印の一つだ。やる気と能力がその扉を開いてゆく。権力ではない縁故でもない金でもない。自分の人柄とフェアネスと能力がその扉を開ける唯一の鍵だった。とても不思議な体験だった。日本の常識とは全く違い価値観の世界。



米国では社会全てのドアが開ていた。フェアネスと能力が有ればどんどんと扉が開いてゆく社会だ。

なるほどチャンスの国だ。とても気持ちがいい。やる気になる。

アメリカンドリームはここからはじまるのだなと感じた。

日本の閉鎖社会と米国の開かれたドアの社会は社会が違うのだ。

フェアネスがないかあるか。其処に基準がある。フェアネスに合わせて問題ないかそれが勧めと考えれば協力をしてくれる。考えるということはそういうことだ。問題はフェアネスを作れるかどうかなのだ。日本では利権があるかないか。自分が利益になるかどうか。犯罪を探して自分で犯罪者になってゆく。

 

日本社会と米国社会の差(扉が開いている社会)

 

又別の組織でファアネスをキリストから話してやっている団体があった。ネットで見て一年程それを読んでいた。キリストの言葉を何処が違うのか?それが大きな私の心に引っかかる問題になった。

何となくいっていることは同じようだがどこか違うと言う感じだった。

そこでそのことを聞きにいくことに下。ロス市にその本部があった。電話してそのことを話してみると話しにこいと言う。そこで示された日に、示された時間にそこにいった。

すぐに担当者がでて来て話しをした。するとたった一人でその団体の一途家を説明してくれ、た。私の要求と疑問にもすぐに即決で答えてくれた。

日本でなら話しは聞いたので後日答えをだしますというのが、一番はなしが早いばあいだ。

米国では日本よりも話しは早いしその場で決まる。日本んでは話しは長い。下手をしたらそのまま聞いておしまいが、日本企業の話し合いだった。

効率が違う!話しには判断が出来る人がででてくる。

コンなに気持ち良く話しが決まる社会とは日本と企画すると天国のような気分だった。

セールス活動では毎日一どこかの会社の担当者に訪問して話しをする。その時にコンなに米国人のように即決出来る人にあったことがなかった。

担当者を見つけることがなかなか大変だった。電話で担当者は居ませんかと言うと電話の受付担当者が一生懸命に社内を探してつないでくれる。ここからして違う。

日本ではこちらから何々担当の方に取り次いで下さいと言い。要件はこのような物の売り込みですという。この担当者次第でその物が売れたり田だの窓口の聞き役だったりするからその見極めが大変だった。

米国社会ではその的確な担当者がでて来て、即決で私の話しを評価して、自分はこれなら出来るがどうすると聞き返してくれる。私が必要な部分のここになりマスから、やらせてもらいますと言った。出来ない所はそれは別の組織のこおいうのがあると教えてくれた。

日本社会の何倍も効率が速い社会になっていた。

 

これは教育の違いと言うよりも新約聖書を読むか読まないかの差だ。科学を作り出す能力は、物事の本質を考える力による。フェアネスになるかどうかを考える力が本質を考える力でフェアネスかどうかを判断する。日本人は、その力がまだ十分に開発されていない。利己主義で自己チュ・ウで空気読みではフェアネスはいつまでたってもわからない。物事の本質を考えずに自己の利益を追う。だから、その点で欧米人に遅れてしまうのだ。これを欧米人並みにすることが日本の課題なのだ。資本主義で競争するにも此の考える力が大きく必要になる。此の差は何処から生まれたのか?

私は、それは新約聖書にあると思っている。ここ十年程それを読み続けた。

そして分かった。聖書こそ欧米文化の基本だ。そこからすべてがはじまっていると。日本の近代化は、その聖書をはずして行われた。新約聖書こそ、西洋社会と文化のベースである。今からその勉強をすることは必要だ。

 

フェアネスはどこからやってきたか?

 

フェア=フェアネスとは、キリストの教えてくれた神の言葉隣人愛にある。自分も相手も同じ人間で、その相手に自分以上のことをすることが要求されているのだ。その正義感の上に、物事の本質を考えよと、常にキリストが問いかけているのだ。あなたのしていることは、神の言葉に従っているのか?キリストの言葉は、たとえ話で話される。その本質が分からないと、内容が分からないようになっている。此の思考のトレーニングを常に要求する問いかけが、プラグティズムと呼ばれる考え方そのものだったのだ。そして、キリストはそれが出来た人々で、神の言葉を行う人を、聖霊を受けた人、私の弟子、最期に私の友であり兄弟と呼んだ。つまり、人は聖霊を受る人とそれを受ける前の人を選別をしたのだ。

その人は考え方が、神の言葉によって生きる人となり、大事なことは、その基準にあうかどうかだけとなるのだ。つまり、何者にもこだわらない考えの人になって行くことになる。何処に住むか?何を職とするのか?誰と住むのか?すべては2次的なこととなり、自由となるのだ。すべては神の言葉を中心に生きることになる。このような人が欧米人のMayflawer号の人々。初期のプロテスタントなのだ。カソリックの人は聖書を読まない、教会に属して牧師という詐欺師からくだらない話を聞き、賛美歌を歌い、脳まひになっている従うだけの人生だ。キリストと語り合い自分を見つめなおす。問いなおす。何が正義か?何を為すべきか?自分の考えを作っていない。資本主義は、初期のプロテスタント(聖書を自分で毎日読み考える聖書に中のキリストが牧師だ)の心と思想からなっているのだ。

資本主義は間違えていると私は思っているが、今はそれが支配している。そこで、対等に競争するには、此の新約聖書の精神と考え方を身につけることが必要になると思う。

資本主義を改訂して、更にそこにいる人々の心がフェアネスで満たされていないと行けない。

 

でもプロテスタントも今教会に行けばカソリックと同じでキリストはいない

聖書は読まず教会に日曜に往き金を払う。歌を歌う牧師の傲慢な説教をありがたく聞く。キリスが言った言葉は言われれず、行われない。でもどちらの教会でも聖書が椅子の前においてある。牧師が聖書の中の単語をどこにあるというと、皆で其処を見てあると知るが意味がわからないで、即次の単語に行く。文章を読まないからキリストの言葉を知らない。キリストの言葉は文章だ。単語ではない。牧師の言うと鳥羽はキリストの言葉でない詐欺師の言葉だ。その単語を聖書の中から拾い出している。新約聖書の何ペイジで何の章で、何行目といちいち言う。コンピューターでやれば簡単なことで無意味な作業だ。信者は聖書を持ってそのペイジを探して見つける。作業に追われて牧師が言った文章の意味がよく理解できない。どうせ大したこと言っていないから聞く必要もないが。

キリストも言葉を言った牧師は1人もいない。神の言葉をやらない牧師は、多数見たが神の言葉を実行した牧師はいない。詐欺師はキリストの名を語りキリストの言葉を言わずやらない。

キリストの言った通りだ。

愚か者が愚か者を導けばふたりとも穴に落ちて死んでしまう!牧するのは私一人だけだ。

つまりキリスト以外の人間には人を導くことは出来ない。なぜならあまりにも愚かだからだ。もし導くことをやればそのふたりとも地獄に落ちて死ぬだろうといっている。

だが現実には牧師と称してその過ちをやっている人間がいる。数十万人もいる。頭に血が上って法王とか言っているバカも出てきた。聖人を決めている。基督は自分に並ぶものは基督が決めるのではなく神が決められると言っている。人間にはやってはならない不尊をローマ法王は平気でやっている。ファーザーと名乗る大馬鹿者さえいる。基督が神をファーザーといった。神の子キリストだから許される呼び名だが、人間の牧師が自分を自分の信者にファーザーと呼ばせている。髪を裏切り神に反抗する牧師は何者だ。ユダヤの手先だ!悪魔だ!

バチカンの高位の牧師は皆ユダヤのベレー帽を頭に載せ、キリストが高慢だと言ったロングローブを着ている。バチカンの僧とは全員ユダヤなのだ。

人類皆殺しをやっている人類の敵だ!

 

キリストは人間に物事の本質を考える力を与えられた。

 

そのキリストの言葉は文章になっていて比喩的に使われる。その物事の本質を考えないとほんとうの意味がわからない。文書を知らずその本質を知ることは全く出来ないようにカソリック教会もプロテスタント教会もクリスチャン騙しをやっている。

その行いを見ればユダヤバチカンが悪魔だと分かる!

キリストも言葉でもバラバラの単語にしたらキリストの言葉ではなくなる。

キリストの言葉はフェアネスと考える力と方法で、それがプラグマチズムの精神だ。西洋人がすべてこれを身につけている訳ではないが、大学で学ぶ者は、此の精神フェアネスをベースにして、プラグマチズムの思想を使って科学を確立してゆくのだ。日本人も此の能力がなければ戦えない。

日本人は大乗仏教徒だ。お経を聞くだけか、分けも分からず唱名をする。そして、そこに同席した人が、仲間となる。本質が何かは関係ないのだ。そこに悪があるかもしれない。騙しがあるかもしれない。それを考えない日本人が生まれる。隣の人と同じことをするのは空気読みだ。

第一僧とは、俗世を抜け出したもの。つまり世間とは一切を離れた者の事だが日本の僧は自分淤家庭を持ち、相続をして寺の財産を自分のものにして、子供に譲っている。僧のなるすましで税金は払わないは俗世の家庭を持ち、信者の中の一番美しい女性を仏の名で騙して結婚している。子供を作っている。俗物そのものだ!これは僧ではない一般人だ。税金を払え!相続税を払わせて、働かない寄生虫朝鮮人だ!偉そうに出鱈目を言って生きている。働かない税金を払わない。やるべき事をしない寄生虫だ。これが解脱か?強盗団だ!日本仏教は親鸞によって破壊されている。結婚シテもいい?何をやってもいい?とした仏教破壊者は親鸞だ!浄土真宗は日本仏教破壊集団だ。元の出家に限定して世間とは縁を切れ!クラブが通いは破門だ!愛人は縛り首だ!比叡山は縛り首の山と言われる事になる。クズの山だ!も一度全残火付けて消毒が必要だ。

 

一方、キリストに目を覚まされた人は、神の言葉を中心に考えるから、アンフェアの人間を許さない、コミュニテイとは、その神の言葉によって作られてゆく。フェアネスを追求すると人権が生まれる。人権を守るために民主主義は生まれたが人間の作るものはいつも不完全だ。その不完全さを埋めるためにフェアネスの人は議会を作る。法を作る。フェアネスは神の言葉だ人間の文章ではいつも不十分だ。時代が勧めば社会も変わるその違いは法律にすると時代に合わないものになるだから議会でその差を埋める。フェナネスがない国会議員は資格が無い。出て行け!無能者が政治をやってはいけない。やらせてもイケない。人権をより拡充するために議会がある。不足を補うために議会がある。日本ではフェアネスを知らない犯罪者が犯罪を助長するために法律を作る。犯罪が正義だという。正義が犯罪だという始末だ。12歳の子供どころではない。5~6歳の悪ガキだ。此の差が日本人社会とプロテスタントの社会となり、資本主義の国を作った。それを本質を抜いてまねして失敗している。当然だ。その基本を知らないからだ。今からでも出直すしかない。

西洋社会もカソリックプロテスタント共にその他の新興宗教すべてはインチキだ。キリストの言葉だけが真実のキリストその人なのだ。その言葉を毎日読めば良い。数年すると意味が分かってくる。一度では全く分からない。高校の頃ベストセラーはすべて読ンでいたが聖書だけは読んでいない事が分かった。学校の図書館。近くの地域の図書館のいい本は全て読んでいた。

では聖書を読んでみようと読み始めたがさっぱり意味が分からなかった。キリストの比喩で言う言葉にいちいち引っかかっていた。心の栄養が足りずキリストの言葉の種が育たなかった。石の上に落ちた種のように。

数十年後に人生で出会った人々から学んだ事から磨かれた自分の精神があった。その経験の上に聖書を読んで、すぐに意味が体中を通して分かった。

人生でこんな間違いをした私の上司がいた。

中途採用の人は中途採用同士にグループにして新卒は新卒同士のグループに分けるということをやった。これは福音書に出てくる。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるといい。古いぶどう酒は古い革袋に入れるのが昔からの知恵といわれているとキリストが言ったことを自分なりにその上司が解釈しての事だった。聖書に乗っとり生きている自分に酔っていた。

数十年後、葡萄酒の喩え話は私はこう解釈したユダヤ教旧約聖書の世界の目には目をはユダヤ人だけの生き方だ。ユダヤ人はユダヤ人の頑なさでとどまっていろ。

キリストの教えはユダヤ人以外の全ての人類に与えられる。こう言ってキリストはユダヤ人への教えを一切しなくなり異邦人への布教活動だけをやりはじめた。

ユダヤユダヤの復讐と特権世界で地獄に住メ。他の人類はキリストの言葉と神の言葉により平安の世界に住む。キリストは葡萄酒の話でユダヤ人とキリストの教えの決別を宣言したのだ。

キリストの言葉の意味を知るには物事の本質をよく考えないと出てこない。

つまり言いたい事はキリストの言葉を理解するには豊富な経験とよく学習し考える力が必要だということだ。

キリストの言葉を考えると推論力が出来る。科学をするとは推論する力の事だ。

その考える力が科学を見つけていった。

正義と物事の本質を見ぬく力をキリストは与えてくれる。

西洋の科学はその上に花咲いた成果だ。日本人はその基本を知らず。キリストを避けて現代を江戸時代の精神で生きている。考えがいつも足りない。

マッカーサーは日本人は12歳の子供だ。と言ったそうだが,今もそのままだ。このまま永久に12歳で日本は生きてゆくのか?

出ると負けで手遅れの政治と少し足りないおとなしい日本人だ。

日本人はカソリック信者が多い

キリストの言葉を知らないキリスト教徒達。ユダヤの手先になっている。

キリストの言葉を知らないキリストの信者か?頭が悪すぎる。

日本人のカトリックの作家と言う本を三人読んでみたら何にも知らない馬鹿だった。遠藤周作に曽根綾子に北海道の女性作家だ。全員キリストの言葉を知らなかった。全ての本にそれが出ている。無知だ。恥を知れ!聖書くらい読んでおけ、キリストの信者なら。

 

カトリック教徒とプロテスタント教徒は、空気読みで自己中で日本の独裁国家の奴隷でユダヤ教の奴隷になっている。二重奴隷だ!